困った住人

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桜の花びらが舞い落ちている。舗装されていない道、土の上に薄桃色の花弁が積み重なっている。 佐野はその道に車を停めた。ここからしばらく歩かなくてはいけない。この辺りは人通りがなく建物も少ない。暖かい日差しを相殺して心地良い風が吹く。涼しげで目にあらゆる色彩が鮮やかに際立つ陽気な光景の中、佐野の気分はそれには相殺されずにいる。 古く小さなアパートの一室の前で佐野は一旦、立ち止まった。冷静さを保つため深呼吸をする。近くで無邪気にすずめが休んでいた。 呼び鈴を押した。佐野には押し応えさえ頼りない気がした。耳を澄ますと風の音が聞こえたが部屋の中からは何も聞こえてこない。呼び鈴は機能していないのだろう。ドアをノックするとすぐに返事が来た。 「どちらさん?」 「ジンギスカン不動産の佐野です。」 「…どうぞ。」 佐野はドアの中へ入り話を進めようとした。佐野は一瞬、その人を見て凍り付いた。社内の者から聞いてはいたが見るからに普通ではなかった。50才くらいの女性らしいが既に老婆のようである。肥満気味で独特の服装をしている。それでいて表情は妙に子供じみている。ただ、目は虚ろで、自分の心より先が見えていないかのようだ。 「家賃の件で伺いました。」 「いつもの井上さんではないんですね。どうぞ、ここじゃなんですから、あがってください。」 佐野は言われたままに部屋へ入ることにした。長話が予想され、狭い玄関で立ちっぱなしでは疲れると思ったのだ。井上は佐野の先輩である。この春、井上が部署を異動することになり、佐野がこのアパートの管理を担当することになった。 井上からここのアパートの大家がお金にうるさいこと、そしてそこに住む滞納の常習者である損沼が要注意人物であると教えられている。契約時には保証人がいたが現在では連絡が取れない。新たな保証人を見つけられず本人から回収するしかない状況だ。しかしその本人は精神病を患っており、交渉が困難だと聞いている。話に一貫性がなく長いそうだ。
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