第1章

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初秋の風の中、博雅はひとり徒歩(かち)で晴明の家に向かっていた。 手には笹に挿した落ち鮎。これを 肴に一献やろうというわけだ。 門をくぐり、相変わらずの荒れた庭に少し苦笑する。 ふと足が止まったのは、風に混じってほのかに甘い香りがしたからだ。 ……香か?それとも花? 今までに覚えのない匂いに戸惑う。 母屋に近づくとその香りがいっそう強くなった。 くちなしにも似た……しかしもっと清冽な、甘やかに澄んだ香り。 「晴明」 簀子(すのこ)に立つ晴明を認めて博雅が声をかける。 「博雅、いいところに来たな」 まぁ上がれと、手を引かれる。 「珍しいものを見せてやろう」 招き入れられた几帳の陰には一輪の赤い花。 素焼きの壺に土を入れた中にすっくと伸びる茎。瑞々しく開いた緑の葉。 甘い匂いがいっそう強くなる。 先ほどからの香りは、幾重にも重なった深紅の豪奢な花弁からと知れた。 先端が薄紅の花びらは、中心に行くにつれてその紅の色を濃くしている。 「見た事がない花だな……なんというのだ?」 「名は知らない。唐渡りの文箱の中に落ちていた種を見つけてな。蒔いてみた」 美しいだろう、と晴明が自慢げに言う。 「咲かせるまでけっこう手間がかかったぞ。寒いのはだめらしいし」 「葉は長春花(こうしんばら)に似ているが、花弁の枚数と趣は全く違うな……あッ」 思わず伸ばした博雅の指に鋭い痛みが走った。人差し指の先に、みるみるうちに紅い玉が盛り上がってくる。 「ばか!」 晴明が博雅の指を掴んで引き寄せた。 「刺があるんだ。よくも見ないで手を出すから」 指の先を晴明の唇に含まれて、博雅の目元が紅潮する。 「……晴明!」 ん?と指を含んだまま上目遣いに晴明が見る。 「大丈夫だから……離せ」 引き離そうとした手首をがっしりと掴まれて。目元で笑った晴明が含んだ指先に舌を絡めた。 熱くぬめる肉隗が指を包んで吸い上げる。 「……てッ!」 上がった声は晴明のもの。博雅に耳をぐいと引かれて顔を顰める。 開いた唇から博雅は急いで指を引き抜いた。 「乱暴なやつだな」 少し唇を尖らせて抗議する晴明に、手を袖に隠した博雅が赤くなって言い返す。 「離せと言ったのに離さないからだ」 「血を止めていたんだろう」 さらりと言われて、博雅が言葉に詰まる。 「それとも」 ……感じたのか?と晴明が顔を寄せて囁いた。 「いっ、ててててててっ!」
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