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「酒を持てだの肩を揉めだの、簡単な命令なら蟲でも出来る。だが自分の判断で行動しなくてはならない場面では役立たずだ。ろくに反応も出来ないものを抱いて、楽しいと思うか?」
突然聞かれて面食らった顔の博雅に、晴明がにやりと笑いかける。
「もちろん式に神霊や精霊や人間の霊とかの高等なモノを使えば別だがな。ただそういった式は呼び出してこの世に留めておくだけでも、蟲などの何十倍も術者の力を喰う……そうまでしてする気にはならん」
人の方がいいに決まってると見つめられて。博雅が慌ててまた目を逸らした。
「……そうか」
紅潮した首筋を笑いを含んだ顔で見やってから。さて、と姿勢を正した晴明が呪を唱える。
低い詠唱が流れるにつれて、甘い香りがいっそう強くなった気がした。
「……あ」
真っ直ぐに伸びた赤い花がゆらりと揺らめいて、博雅が小さく声を上げた。
やがて向かい合って座る晴明と花との間に、朧な翳がわだかまりはじめた。
薄靄のようなその翳がじわりと固まって……伏せた人影になる。
――影の顔が上げられた。
「……わたしを呼んだものは誰か?」
澄んだ声が博雅の耳を打った。
薄紅梅の水干をまとった女が、ふわりと几帳の前に立つ。
束ねずに流した波打つ長い髪は花弁と同じ赤で、先端に行くにつれその色が淡くなっている。瞳も同じ花の色だ。
繊細な目鼻立ちは美しいが、人形のように無表情。晴明の眉がかすかに寄せられる。
「これは……何だ?」
訝しげな晴明の呟きに、お前が呼び出した式ではないのかと博雅が顧みた。
不意に女の膝が崩れて手が床につく。助け起こそうとした博雅を晴明が腕を伸ばして遮った。
「あれは式ではないぞ、博雅」
「晴明?」
「どうやら初めから花の中にあったモノに、形を与えてしまったらしい。……まずいものを呼び出してしまったのでなければいいが」
「元に戻せないのか?」
晴明が目を瞑り口の中で呪を詠む。目の前の女に変化はない。
「ダメだな」
肩を竦めてあっさりという晴明に、博雅が声を上げる。
「そんな無責任な!」
ゆっくりと立ち上がった女は、二人には目もくれず母屋から広縁、そして簀子へと歩み出た。
高欄にぶつかって立ち止まる。
風が穏やかに長い髪を流す。女は空気を深く吸い込んだ。
「……ここは、どこだ?これは……」
腕を上げて薄紅の水干を不思議そうに見、髪の毛を引っ張った。
「……なに?」
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