12人が本棚に入れています
本棚に追加
自分に名前を付けさせたのはそういう意味であったのかと、博雅がやっと得心する。
「なんとか元に戻す方法を考える……それまであれに余り関わるな」
返事をせずに盃を口に運ぶ博雅に、晴明が苦い顔をした。
「月を見ているのか?」
帰り際、博雅は高欄に寄りかかって立つ春花に声をかけた。
危険かもしれないと晴明は言っていた。しかし月光の中のその姿はひどく儚げに見えた。
「……お前はどこから来たのだ?」
「知らぬ」
そっけなく春花が返す。
花でいたときは言葉を知らなかったから。
熱いところ。乾いたところ。風の匂いがちがうところ。
自分の傍らに……なにかが居たところ。それが今はない。
――いないことが……空虚……不安?
心の中で言葉を探すが、上手く見つからない。
不意に春花の瞳がまっすぐに博雅をとらえた。月の光の中でもその瞳は花の赤だ。
すいと指を伸ばして取った博雅の手を、自分の頬に持っていく。瞼がそっと伏せられた。
長い睫 が翳を落す。
……そう、こんな感触を覚えている。自分に触れていた柔らかいもの……暖かいもの。
顔に血を上らせた博雅がうろたえる。
「……は、春花?」
その瞳が開いて。放り出すように春花は博雅の手を離した。
そのままくるりと背を向けて広縁の 向こうへと消えていく。後には困惑したままの博雅が、独り取り残されていた。
最初のコメントを投稿しよう!