第1章

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自分に名前を付けさせたのはそういう意味であったのかと、博雅がやっと得心する。 「なんとか元に戻す方法を考える……それまであれに余り関わるな」 返事をせずに盃を口に運ぶ博雅に、晴明が苦い顔をした。 「月を見ているのか?」 帰り際、博雅は高欄に寄りかかって立つ春花に声をかけた。 危険かもしれないと晴明は言っていた。しかし月光の中のその姿はひどく儚げに見えた。 「……お前はどこから来たのだ?」 「知らぬ」 そっけなく春花が返す。 花でいたときは言葉を知らなかったから。 熱いところ。乾いたところ。風の匂いがちがうところ。 自分の傍らに……なにかが居たところ。それが今はない。 ――いないことが……空虚……不安? 心の中で言葉を探すが、上手く見つからない。 不意に春花の瞳がまっすぐに博雅をとらえた。月の光の中でもその瞳は花の赤だ。 すいと指を伸ばして取った博雅の手を、自分の頬に持っていく。瞼がそっと伏せられた。 長い睫 が翳を落す。 ……そう、こんな感触を覚えている。自分に触れていた柔らかいもの……暖かいもの。 顔に血を上らせた博雅がうろたえる。 「……は、春花?」 その瞳が開いて。放り出すように春花は博雅の手を離した。 そのままくるりと背を向けて広縁の 向こうへと消えていく。後には困惑したままの博雅が、独り取り残されていた。
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