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 孤児院を出たのは、中学を卒業した十五の春だった。規則で言えば高校を卒業する十八歳まで在籍することも可能だったのだが、義務である期間を過ぎると、誠は進学を選ばなかった。特に院での暮らしに大きな不満があった訳というではなく、孤児という何も頼るもののない身の上なので、早く自立して手に職を付けたい、という思いが強かった為だ。  そんな想い出が不意に頭を掠めたのは、先程出掛けた際に満開の桜並木を潜ったからだろう。毎年この時期に繰り返し咲く薄紅色の花は、春という漠然とした希望と不安が混在する季節の象徴であり、世間の例に漏れず自分にとってもそういった記憶の栞になっているのだということを、今年も反芻するのだった。  誠は孤児院を出た後、院長の知り合いが経営する小さな部品工場に住み込みで働き始めた。生来手先が器用で十五という歳の割りに落ち着いている性質だった為、仕分けの仕事の飲み込みも早く、工場長や上司の覚えは目出度かった。けれど同世代の同僚や先輩達からは快く思われず反感を買う存在となり、次第に仕事場でも寮でも口を利いてくれる相手が減って行った。  就職して半年が経つ頃にはシフトの変更や新しい機械の導入といった、必要な連絡事項さえ回って来ないような扱いを受ける程に孤立してしまっていた。そこで同僚達と話し合うなり上司に訴えるなりの正攻法に出れば良かったのだが、当時の誠はこの工場にもう自分の居場所はない、と思春期らしい極論に基づき事態の打開を考えてしまい、ある夜数少ない私物を全てリュックに詰めると、それを背負って工場から逃げ出してしまったのだった。  地元の無人駅へ向かい、やって来た電車に取り敢えず乗り込み、幾つかの駅で人の流れに任せて乗り換えを繰り返し、何時の間にか辿り着いた新宿駅で電車を降りた。だが勿論行く当てなど何処にもなかったので、その夜は浮浪者に混じって構内の柱に寄り掛かり座ると、目を瞑って朝が来るのをひたすら待った。
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