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 その翌朝、何時もと同じ午前10時50分に晶子の書斎へ現れた長谷部は、何時ものように感情を出さない顔でおはようございます、と頭を下げたのだが、その切れ長の瞳は何時もより赤く充血しており、昨晩の酒の余韻を滲ませていた。強い酒に慣れていない様子の彼を見た晶子は、思わず緩んだ口許を隠すように、その唇におはよう、と言葉を乗せた。 「長谷部、車の免許は持ってる?」  晶子がそんな質問を継ぎ足すと、長谷部はその唐突さに若干瞬きの回数を増やしながらも、持っていると返答したので、それを聞いた晶子はデスクの抽斗を開け、中に仕舞われている鍵の束からひとつを取り出した。 「今日はこれから青山の本社で会議があるの。私のルノー、玄関まで出してくれる?」  都内の仕事用に使っているルノーの鍵を長谷部の前に差し出しながら、晶子が静かな笑みを浮かべてそう言うと、彼は一瞬目を大きく開いた後、引き締まった表情ではい、と答え、その鍵を受け取り玄関へ向かう為に踵を返した。彼がそんな大きな反応を見せたのは、車の運転は昨日までずっと晶子自身がしていた為で、今日になって急に彼に運転を任せようと思ったのは、揶揄いや気遣いやましてや計算などではなく、晶子にとってただ自然な流れだったからだ。  長谷部の運転で滑らかに246号を走るルノーの後部座席に座りながら、翻ってみると自分は今までホステスという仕事柄、男の部下をこれ程近いポジションに置いたことがなく、初めてのことに警戒していただけなのかも知れないとも思いながら、晶子は静かな揺れに身を委ねてゆっくりと眸を伏せた。  それ以降、真面目に仕事をする長谷部に、自然と晶子は護衛以外に事務の手伝いやクラブでの雑用も任せるようになって行った。
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