21人が本棚に入れています
本棚に追加
……何なんだろう、これは。
僕は、彼女が言っていることを理解できている。それなのに何かがわかっていない。何かが繋がらない。
彼女の正体がわからないのは、きっとそのせいだ。
また、もどかしい。また、つらい。叫ぶのを通り越して、泣きたいくらいに。
彼女は困ったような笑みを見せ、そして唇を開く。
「ごめんね。本当はもっとちゃんと言わなきゃいけないのはわかってる。だけど、もう時間がないの。だからこのまま、言わないといけないことを言うね。あのね、心配しないで。あなたは私を忘れないから。だって、本当なら触れてからじゃないとわからないはずなのに、それより前に、あなたは私に気づいた。私が誰なのか、ぼんやりでも気づいてくれた。それくらいあなたは私を、……だからね、大丈夫」
そこで一旦彼女は言葉を切った。けれど、またすぐに「あのね」と切りだす。
「あなたの時間はこれからどんどん増えていって、あべこべに私との思い出の時間は小さくなる。だからどうしたって、私を思いださない時間は増えていくのよ。でもそれだけ。私を忘れるわけじゃないの。と言うより、あなたは絶対、私を忘れない。それをいま、私、確信した。だからお願い。私のその確信を信じて。悲しみの中にいることをいいことだとは思わないで」
彼女は、ふと目を伏せた。そうして静かに言いだす。
「私が未来の望めない病気に罹って、そのことがわかったときから、あなたはずっと悲しみの中にいた。そのせいだよね、あなたがそんな風に思うようになったのって。ずっと悲しかったから、それに慣れてしまって、あなたは悲しくないことが不安になった。悲しみから抜けだすのが怖くなった。だから、……ごめんなさい。私のせいで、本当にごめんなさい」
僕は呼んだ、「香織」と。できるだけ優しく。
彼女は、いや君は、伏せていた目をぱっと大きくした。かと思えば目を細め、「時間だね」と。
いなくなる。
その予感に、僕は重なっていた手を翻す。そうして、どこか遠慮がちに触れてきていた君の手を取ろうとした。
けれど君の手を握るつもりの僕の手は虚しく空を掴み、同時に、君の姿が消えた。更には満天の星も消えた。僕はまったき闇に飲み込まれる。
その闇の中、僕は聞いた。
もっと二人で、星、見たかったな。
残念そうな君のその声。次の瞬間、僕は意識も闇に飲まれた。
最初のコメントを投稿しよう!