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☆
星を見に行こう。
それは僕にとって、君を誘う言葉だった。
だけどあるとき、君の病を知ったときから、その言葉を僕は本気では言えなくなった。
でももし、君が自分の病を知っていたなら、本気も何も、僕はその言葉を君に言うことはなくなっていただろう。だって君の病は、星を見に行くどころか、退院さえ絶望的な、そういうものだったから。
けれど君はそれを知らなかった。君の両親は優しくて、それから臆病でもあって、君が病を知ることを恐れ、医者にも僕にも、君に病を伝えないよう頼んできた。だから君は知らなかった。
――しかし、本当に君は知らなかったのだろうか?
僕が、退院したら星を見に行こうと誘ったとき、君は寂しそうな笑みを浮かべて、そうだねと応えた。
あれは、あの笑みは、自分の病を知っていたからこそのものではなかったのだろうか?
いまも僕は、君が見せた寂しそうな笑みを思い出す度、そう疑ってしまう。当時の僕と同じように。
でも、訊けなかった。
疑っていたくせに、当時の僕は君に、自分の病を知っているんじゃないか? とは訊けなかった。
だって、その疑いが当たりならいいけれど、当たっていなかったら? そうだったら君は僕の問いかけによって病のこと知ってしまうことになる。それはすなわち、君に残された時間を教えることでもあり、君に絶望を与えるのと同じこと。
だから僕は訊きたい気持ちを心の奥に押しやり、その代わりのように、星を見に行こう――そう言い続けた。
そして、君が危篤に陥る前日も、病室からの去り際、僕はそう言った。それが、君にかけた最後の言葉になるなんて、そのときは思わずに。
それから半年。君がいなくなってから半年。
その半年で、僕は少し変わった。君を失ったときのあの悲しみから少し脱し始めた。
それを周囲は喜んでくれた。ところが僕は、それを喜ばなかった。
君を失った悲しみから脱していくことは、君から遠ざかることのように、君を忘れてしまうことのように、そう思えたから。
ゆえに僕は、悲しみから抜けだそうとする自分を詰(なじ)り、けれどそうしても、悲しみから脱して行く自分を止められない。
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