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☆
「星、綺麗だよ」
隣にいる彼女――西崎香織がそう言った。
僕はしばらく足元に向けていた視線を彼女へと移した。その動作は、我ながら鈍(のろ)かった。
彼女に視線を向けてすぐ、彼女と目が合った。すると彼女は、眼鏡のレンズの奥にある目を細めた。そうして微笑んだ。
はっきりしない視界の中、その微笑みはなぜかはっきりと見えて、僕にはそれが不思議だった。しかしそのことよりも、なぜ彼女が微笑むのか、それが不思議でならなかった。
彼女は、恋人が半年前に死んだのだと、僕から急に聞かされた。そして、ここに星を見に来ていながら本当は星を見たくないのだという矛盾した思いを聞かされ、その思いを抱く理由までも聞かされた。
それらを聞かされるのが、知り合いならまだ許されるものだとして、ところが彼女は僕の知り合いではない。ここに星を見に来て、偶然、ベンチに座ったまま眠る僕を見つけただけの、僕とは初対面の女(ひと)。
それなのに、自分にはまったく関係のないことを長々と吐きだしてくる僕に付き合わされて、それでどうして彼女は僕に微笑むことができる?
そう思うから、僕には、向けられる彼女の微笑みが不思議で、つい彼女の顔をまじまじと見てしまうと、不意に彼女の目が逸れた。
彼女は目だけでなく顔も逸らし、そうして僕に横顔を向けてきて、その彼女の横顔に僕は星を見た。
その星は、眼鏡のレンズに映った星の光だった。
「カシオペア」
突然彼女がそう言った。僕は思わず「え?」と呟いた。しかし彼女は気にしない様子で、唇の動きを止めなかった。
「北極星、冬の大三角、オリオン座、こぐま座、おおぐま座、はくちょう座――」
テンポよく動く彼女の唇。聞こえてくる声は歌うようだ。
僕は、あれ? と、内心首を捻った。
それは、彼女の様子に違和感をおぼえたからだ。
しかし少しすると、今度はその感覚に違和感をおぼえた。つまり、おぼえた感覚が、違和感という感覚とはどこかずれている気がしたのだ。
そしてやがて気づいた。
既視感――それが自分がいまおぼえているものの呼び名として適していると。
だけど。
感覚としてそれが正しいとして、彼女と以前どこかで会った?
そう思ったときちょうど、彼女が唇を閉じた。彼女は僕を見てきて、また微笑んできた。かと思えば、彼女の唇が開かれる。
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