第1章

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いつものように、博雅は徒歩(かち)で晴明の屋敷に来た。 夏の終わり……夕暮れの風が涼しく感じられる。 風に乗って運ばれてくるのは、金木犀の香り。清らに甘いその香りが今日は一段と強く感じられて。重たげに揺れる豪奢な金の枝を見上げた。 「……あ」 南階を上がった所に控えているものがいつもの式神ではないことに気づいて、博雅の足が止まる 。 紅鬱金の狩衣に垂髪をうなじで一つにまとめた式が顔を上げる。切れ長の目の端正なその顔は、男のもの。 ……もう初冠(ういこうぶり)はとうに過ぎている年頃なのに垂髪とは。 博雅が式相手に常識的なことを考える。 自分より少し年下にしか見えないその青年に、なんとなく戸惑った。 青年はすいと立ち上がると、こちらへ、というように小首をかしげて博雅をいざなった。 後ろを歩くと式の裾からほろりほろりと金の花が零れる。……漂う香りは金木犀。 「博雅」 式に案内されてきた釣殿で晴明が出迎える。 「空が晴れ渡っている……いい月夜になるぞ」 「そう思って笛を持ってきた」 それはなにより、と言う晴明に博雅がにこりと笑い返す。 晴明の屋敷の庭から見る月が博雅は好きだった。 他のどこで見るよりもその光が冴えわたって感じられる。 そしてここで吹く笛は、どこで吹くよりも何倍も澄んで豊かに響くように思えるのだ。 「薫、酒を」 晴明に命じられて薫と呼ばれた式が頭を下げる。 「どうした?」 退がっていく式を見送る博雅の視線に、晴明が問うた。 「いや……童でもあるまいに、なぜ垂髪なんだ?」 「俺は稚児趣味は無いぞ」 晴明がちょっと憮然とした顔になる。 「今業平(いまなりひら)というところさ。たまには良かろう……美女ばかりでも飽きてしまう」 そう言って、陽が落ちた庭に咲き誇る金木犀を見やった。 「花が咲いている間だけの、座興だ」 金木犀の香りを先触れに、薫が酒と肴を運んでくる。 「月が良い位置に昇るまで、呑んで待とうよ……博雅に酌を」 命ぜられて薫が博雅の脇に座り、手の盃に酒を注ぐ。博雅が、どことなく戸惑うような表情を見せた。 そんな博雅を、薫が目元だけで笑う。 並んだ二人をなんとなく見やって……晴明がふと気づく。 ……これは……この二人、似てないか? 瓜二つと言うわけではない。見かけは薫の方が五つ六つ年下だ。
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