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 レモンタルトの次にロールケーキの生地が焼き上がると、二人は昼食を取った。厚焼きの玉子を挟んだハル特製のサンドイッチだった。玉子はふわふわとして、出汁(だし)がきいていた。こんな玉子サンドは食べたことがないと秋鹿が云うと、そうでしょうと、ハルは胸を張った。  昼食の片附けを済ませて、ロールケーキの仕上げをする。冷めた生地にクリームを塗り、巻いていく。どうしても息を止めてしまうらしく、巻き上がった瞬間に大きな溜息が出た。 「綺麗に出来たわね、秋鹿」  ハルに褒められ、秋鹿は嬉しくなる。端を切って味見をしてもらうと、 「おいしいわ。ばっちり」  ハルは人差し指と親指で、丸を作った。「春夏冬(あきない)中」の札を表に掛けて、店を開いた。  しかし一時間経っても、二時間経っても、客は来なかった。 「こう云う日もあるわ」  ハルはグラスを磨きながら、気にもせずに云った。秋鹿は手持ち無沙汰に書棚の本を取り上げた。雑誌や新聞の類はなく、この店にあるのは詩集や小説ばかりだった。どれもハルの趣味らしい、一冊ずつ花柄の紙でカバーがつけられている。  三時半を過ぎて、ようやくはじめての客が来た。柊だった。秋鹿の顔を見るなり表情を歪める。 「いらっしゃい、柊君」  ハルが笑顔で迎えると、「こんにちは」と、にこやかに挨拶をする。露骨な態度に、秋鹿は気後れしてしまって、「いらっしゃいませ」が云えない。それだから彼に嫌われるのだと判っていても、いったん引っ込んだ言葉は、もう出てこなかった。
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