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次の日、開店の準備をする前に、ハルは秋鹿に訊ねた。
「秋鹿、今日もレモンタルトを作りますか、」
秋鹿はためらいつつ、
「あの、昨日の分も残っているし、今日は……」
作りません、と、云う声が、あやふやになる。
「そうですか」
ハルはこだわりなく頷き返す。「では、他のケーキをお願い出来ますか」
「はい」
秋鹿はほっとして答えた。
「それと、アイスクリームを作りたいのだけど、ああ、生クリームを切らしていたわ」
冷蔵庫を確かめて、ハルは云った。
「では、私は買い出しに行ってきます。準備を任せても大丈夫、秋鹿?」
「はい。大丈夫です」
じゃあ、行ってきますと、ハルは買い物籠を持って出かけていく。秋鹿は店内の掃除を始めた。カウンターに置かれた、「春夏冬中」の札を何気なく手に取る。札は他に、「一時留守」と、「準備中」とあって、今、外には「準備中」が掛かっていた。いずれも既製品ではないようだった。木の板に、文字が彫られている。ハルが作ったのだろうか。
「春夏冬中」、秋無い中、か。ただの言葉遊びなのに、全然つまらないことなのに、心にさっと翳のよぎる自分が、厭だった。何でも無いことをいちいち自分と結びつけて、暗い気持ちになったりするのは、自分の精神が弱いからだ。
(でも)、と、思う。自分が欠けても、多分、世界は成立する。現に今、世界は成立している。「春夏冬中」の世界だ。「春夏冬中」の世界は、「春夏秋冬中」の世界よりも、居心地が良かった。
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