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広場の中央に、助六が倒れていた。駆け寄ろうとして、立ちすくむ。地面のあちこちから黒い霧が立ち上り、それはみるみるうちに集まって、巨大なひとつの影となった。秋鹿よりも遥かに巨きい。秋鹿は息を呑んだ。渦を巻きながら象を生すそれは、蜘蛛のように見えた。
長い脚で、助六の躰を地面に縫いつける。助六は苦しげな呻き声を漏らした。
「助六!」
秋鹿が叫ぶと、紅々とした蜘蛛の八つの睛が、一斉に光った。秋鹿は総毛立った。今までどの恐怖の対象にも感じなかった、未知のおそろしさを覚えた。
「兄者! もう大丈夫だよ! 秋鹿つれてきたよお!」
茶漬けが秋鹿の足元で吠える。
助六は懸命に鼻先を持ち上げて、怒鳴った。
「莫迦者! 何故連れてきたのだ! 人間が敵う訳なかろう!」
「でも、兄者……、」
「人間とあやかしとは、理が違うのだ。ハル殿や他の人間たちを、あやかしのことに巻き込むなと、常々云っておるだろう」
煩がるように、蜘蛛は二本目の脚で助六の頭を押さえつける。
「兄者!」
飛び出してきた茶漬けを、蜘蛛は即座に伸ばした別の脚で捕らえた。
「茶漬け!」
秋鹿の声に、蜘蛛は紅い睛を明滅させた。秋鹿のことを探しているらしい。しかしこの蜘蛛にも、秋鹿の姿は見えないようだった。
そのもどかしさに腹を立てたのか、茶漬けと助六をいっそう締めつける。ふたりの四肢がこまかく顫える。半円に開いた蜘蛛の口から無数の牙が覗いて、その牙と牙がこすれ合って、ぎちぎちとなる。おぞましい音に、秋鹿の胃も軋む。したたった唾液に、地面が玄く穢れていく。助六と茶漬けはもう何も発さずに、ぐったりとしている。
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