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九月に入っても暑い日が続いている。
涼太と篠原さんのマンションで居合わせてから一月が経とうとしているが、向き合おうと決めたのにも関わらず、偶然にも会う事はなかった。
私は涼太に『涼太以上に大切な人がいる』と伝えた。もう、来ないでほしいと。
でも涼太は私が戻るまで来ると言った。来ていないと考えるより、ただタイミングが合わないと考えたほうが正しいだろう。
拍子抜けする事態に、日々の忙しさもあり意識があまりそちらに向かなくなった頃――。
第一金曜日の救急科とのカンファレンスを終え、読影室に帰ろうとしていると、背後から「久世先生」と呼ばれた。
振り向くと、ゆっくりとした足取りで、他の先生を見送りながら篠原さんがやってきた。
「どうかしましたか?」
読影室ではなく、廊下で話しかけてくることはあまりない。
これは仕事の話だと思い、そう問うと「今日、家来られる?」と耳打ちされた。
仕事と全く関係のない話に、少し訝しく思いながら「はい、大丈夫です」と頷くと、篠原さんは一瞬、いつもと違う表情をした。
その表情はすぐに笑顔に消され「お泊まりだからね」とまた耳元で囁くように言う。
そして待ち合わせをマンションの最寄り駅にして、いつもと少し様子の違う篠原さんの背中を見送った。
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