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近世までの朝鮮半島の歴史を繙きますと、商業で名を残した人物は殆ど見当りません。
しかし、野史や口承伝説を丹念に見ていきますとこうした人物たちも登場します。今回紹介する林尚沃もこうした人物の一人と言えるでしょう。
近年、崔仁浩氏の小説「商道」やこれをドラマ化した作品を通じて韓国内はもちろんのこと日本や中国でも知られるようになった林尚沃ですが、かつてはその出身地である義州以外では全く知られていない無名の人物でした。そんな彼を見出だし広く世間に紹介したのが、日帝(日本統治)時代の文化人である湖岩・文一平でした。これは湖岩が尚沃と同郷の出身だったためかも知れません。
現在、林尚沃を紹介した文章は何編かありますが、その元になっているのは湖岩の紹介文であるようです。そこで、ここでも湖岩の文章を中心に当時の社会状況と照らし合わせながら、林尚沃の生涯を見て行きたいと思います。
林尚沃が生まれたのは一七七九年、正祖王が即位して三年目です。出生地は平安北道義州という中国〓清国との国境近くの町です。字(あざな)は景若で、後年、稼圃と号しました。尚沃は晩年に「稼圃集」という漢詩集を編纂しますが、士人~両班階級ではありません。彼の家は対清貿易を行なう商家で、恐らく非士人層の出身と思われます。
「稼圃集」の序文に依りますと、彼は六~七歳頃から師に就いて学問を始めたそうですが、書堂(寺子屋)に通い始めたのか、自宅に家庭教師を招いたのかは分かりません~原文には〝出就外伝〟とあります。こうして少年時代は学問に専念し、十五歳頃には史経書は一通り読破したそうです。つまり士人層の少年たちと同じ教養を身につけたわけです。当時の非士人層には、このような人々が多数存在し、このことが当時の文化界に大きな影響を及ぼすのですが、これについては後述します。
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