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「先輩」
なんだろう。僕をじっと見つめたまま、桧山が動かない。
僕の名を小さく呼んだ唇は、その後、きゅっと引き結ばれ、ただ無言で凝視されてる。
「ひ、やま?」
息苦しい。すごく。でも、僕から視線を外すことは出来ない。
眉間にしわを刻んだ表情からは情けない僕への苛つきがひしひしと感じられるけれど、好きな相手に見つめられてるというこの状況を、自分から変えることなんて出来ない。
「伊勢谷先輩」
また、名が呼ばれた。今度は、さっきよりも低い声で。
瞬間、僕たちの間をひゅうっと風が吹き抜け、むせるような草いきれが僕たちを包み込んだ。
「小降りになった。行きますよ」
「えっ?」
むっと青くさい草の匂いに包まれたのは、桧山が急に立ち上がったから。
「ひっ、桧山っ?」
その腕に引かれた僕は、桧山の肩に身体を預ける体勢で立ち上がらされていた。
「最短距離で戻るから、乗ってください」
「えっ、無理っ!」
即答で拒否だ。だって、僕に背中を向けた桧山が目の前でしゃがんだ。おんぶの体勢だ。
そんなこと、無理っ。僕のために桧山を疲れさせるなんて、そんなこと……。
「これ以上、身体を冷やしたくないんだ! 聞き分けてくれよ!」
「あ、ごめん」
そうだ。身体、冷やしたくないよな。僕だって桧山の身体が大事だ。
「でも、やっぱり、おんぶは、む……」
「無理って言ったら、横抱きにして帰る」
え?
「おんぶを拒否ったら横抱き。つまり、お姫様抱っこです」
お姫、様?
「おんぶか姫抱き。選択肢は、それだけっす。さぁ、早く選んでください!」
「え……えぇっ?」
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