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——いつも、振り回されてる。
「伊勢谷先輩っ」
僕のほうが、先輩なのに。
「伊勢谷先輩、今日は六十分ジョグでいきましょう。つき合ってくださいよ」
僕の練習メニューはアイツの気分で変わるんだ。
「伊勢谷先輩。今日はペース走、お願いします。一万五千、さくっとできますよね?」
アイツのほうが才能があるから。
「え? もう、へばったんすか? 嘘でしょ。まだ五千、残ってますよ。ペース落とさず、いけますよね?」
僕がこつこつと積み上げ、重ねてきた努力の成果を、持って生まれた才能であっという間に置き去りにしてしまうアイツ。
ただでさえ、きつい練習なのに、僕と違って才能溢れるアイツに引きずられ、いつも振り回されてる。
「伊勢谷先輩、今日も練習につき合ってもらえて助かりました。俺、先輩と練習すると、いつもすげぇ気持ち良く走れるんすよ。明日もよろしくお願いしますっ」
だけど、練習が終わると決まってこんな風に言ってくれるから、愚かな先輩は、こう返してしまう。
「桧山、お疲れ。うん、いいよ。僕こそ、質の良い練習ができて助かるよ。これからもよろしくな」
「へへっ、めちゃ嬉しいっす。俺、去年の駅伝大会での先輩の走りに憧れて、この学校選んだんで。一緒にやれて本当に嬉しいんです」
後輩のこの言葉が『嘘』だと知っているのに。
コイツは、平凡な僕と練習することで優越感に浸り、自分のモチベーションを上げる目的で、いつも僕につきまとってるそうだ。
一年生同士で固まって話してる現場に遭遇した時、こっそり聞いてしまった。僕に憧れて陸上部に入部したなんて大嘘なんだ。
「んじゃ、クールダウンも一緒にお願いします」
「うん」
でも、気づけば、ウォームアップからクールダウンまで。全ての練習メニューを桧山と組んでこなしてる。
心の底では僕を見下してる後輩の走りに、僕が憧れてるから。
美しいフォーム、恵まれた体格、天賦の走りの才能を間近で見る度、これでもかと見せつけられる度。ただ努力するしか能のない凡庸な自分との埋めがたい差にいつも傷ついてしまうのに、どうしたって目が離せない。
僕を『好き』だと嘘をつく後輩。桧山千里。
憎らしいコイツは、僕が恋してる相手だから。
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