憧れと嘘【2】

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 風が、変わった。  屋外で光と風に包まれる生活を何年もしていると、いつの間にか五感が研ぎ澄まされていくものなんだろうか。 「桧山。コースを変えよう」  自然の些細な変化を、敏感に感じ取れるようになるものなんだと思う。 「雨が降るかもしれない。ロードワークは短縮コースにして、残りはグラウンドで走り込みしよう」 「はあぁ? 何、言ってんすか。こんなにいい天気なのに、雨って! マジで言ってます?」 「あ、うん。マジだよ」 「有り得ないっすよ。天気予報でそんなこと言ってなかったし。実際、ギンギンに晴れてるし」 「そうなんだけど、でも」 「とにかく、コース変更はなしっすね。今日は予定通り走り込みたいんで、却下させてもらいます」  走るスピードは落とさずに続けていた会話が、桧山のこの返事で終わった。というより、桧山がさらにスピードを上げたから、置いていかれた僕が何も言えなくなった。  確かに、桧山の言う通りだ。今日は降水確率は低いし、見事と言ってもいいくらいな晴天が目の前に広がってる。  季節は秋に入ったとはいえ、生意気な後輩の言葉通り、ギンギンな残暑が続いてるんだ。 「僕だって、絶対の自信はないけど。でも、そんな予感がしたんだよ」  ぼそりと、口内だけで呟いた。もう十メートルほど離されてしまっているから桧山の耳には届かないけど、それでも小声で。  併走してる時よりもはっきりとわかる、美しいフォームに見惚れながら。 「桧山……」  やっぱり、好きだ。  唐突に思った。翼でも持ってるんじゃないかとさえ思える、美しいフォームも。常に自信に満ちてる強気な性格も大好き。  だからこそ、無理はさせられない。僕の頬には、雨の予感のする風が変わらずに吹きつけてきてるんだから。 「止めなくちゃ。で、ちゃんと注意しなくちゃ。そんなこと言える立場じゃない情けない先輩だけど」  憎らしくも、憧れてやまない片想いの相手。実力の差に泣きたくなるのを必死で堪え、もう一度ソイツに並ぶため、全力で土を蹴った。
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