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「……ごめん」
轟く、雷鳴。
「ごめんな、桧山」
雨が運んでくる、むっとする青草の匂いに包まれながら繰り返すのは、謝罪。
「僕のせいで、こんなことに……」
「あーっ、うるさい! もう黙っててくださいよ!」
何度目かの稲光に重なって、桧山の喚き声が響いた。
「なんで謝ってんだよ。逆だろ。むしろ、怒れよ! 『お前のせいで怪我した。どうしてくれるんだ』って俺に怒鳴っていいのに、なんでそれをしないんだよっ……タメ口、すんません」
乱暴な口調の、苛立ち全開の喚き。けれど、膝を立てて座ってる僕の正面にしゃがみ、睨めつける視線を向けてくる相手の指は、とても優しい。
「あ……ふふっ。ごめん、笑って」
転んだ時に作った膝の擦り傷についた泥をタオルの縁でそっと落としてくれてる真剣な表情と、こまやかで丁寧な指の動き。それと、怒鳴り声の内容が全然合ってない上に、最後にタメ口をちゃんと謝ってくるからおかしい。すごく。
で、つい笑ってしまったことをまた謝った。
「だから、また謝ってんじゃん。伊勢谷先輩、マジ理解不能」
うん、だろうね。理解不能だと思うよ、僕も。だって、こんなに生意気で憎たらしい後輩、しかも同性を好きなんだ。
僕のことなんて、実力のない足手まといくらいにしか思ってない相手が向けてくる苛つきに傷つきながらも、こうして、怪我というハプニングに少しの気遣いを見せてくれただけで有り得ないくらいに鼓動を跳ねさせ、恋心を再認識してる。自分でも、本当に理解不能だ。
あ、思考が横道に逸れた。桧山が言ってる『理解不能』は、別の意味だったのに。
「僕は怒らない。怒れないよ。転んだのは自分の不注意だ。それに、そのことで、こうして桧山に迷惑かけてる。だから、やっぱり、ごめん」
全力で走ったものの、コース変更できない道に入るまで桧山に追いつけなかった。その後、突然降り出した雷雨の中、勝手に転んだのは僕。
雨宿りできる木陰があったのは良かったけど、こうしてることで、守るべき後輩、桧山の身体を冷やしてる。やっぱり、謝るべきは先輩の僕だ。
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