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それからタクシーを止めて、私と一緒に乗り込んだ。
私は何も言わなかったのに、五条さんは私のアパートのある場所を運転手に告げて、送ってくれた。
ずぶ濡れの五条さん。
過去に見ていたその像のことを、弾かれたように思い出したのは、自分の部屋の鍵を開けて中に入った瞬間だった。
幼なかった頃、私は近所を流れる川で溺れかけたことがある。叱られると思って、親にも誰にも秘密にしてきた出来事だ。
一人で遊んでいて、大事にしていたボールが川に落ちて……。流されて水に沈んだ私を、救い出してくれた人がいる。
水を飲み、意識をなくした私に人工呼吸をして、
「透子、大丈夫か?」
水滴をしたたらせながら、そう声をかけてくれたのは……。
二十年以上も前の出来事なのに、今と変わらない声や面影、あの深くて切ない眼差し……。
「あのとき助けてくれたのは、五条さん。あなたなの?」
思わずつぶやいた時、私の頬を涙が伝っていた。切なくて苦しい感情が私を襲って、どうしようもなく五条さんに抱きしめてもらいたくなった。
川に流されていったはずのボールは、いつの間にか自宅の物置に戻されていた。
電車の中で忘れてしまった傘も、大学ゼミ室の傘立てに立ててあった。
つい最近も、なくしていた片方のイヤリングが郵便受けの中に入っていた。
そんな不思議な出来事の数々……。
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