悩み

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地震や災害は好きじゃない(好きな人はあまりいないと思われる)し、自分の娘に対して身を案じるとしてもそれはないだろう。 親はその他にも、校閲には小学生や中学生が使うような問題集、ドリルにある問題がきちんと成り立っているか、解くことができるのかを実際に解いてみて確認する仕事も含まれているとか、自分の趣味ではない文章も手がけなくてはならないとか言ったけれど、そこは特に問題ないと思われた。小学生は低学年から様々なジャンルの本を手当り次第に読んできた私は、与えられた文章であればどんなものでも読み解き、相応しいだろう言葉をあてはめたり、漢字の変換ミスなども指摘できるという底なしの自信があったからだ。 その旨を伝えたうえで、地震に遭いたくない部分だけを取り上げると、今やどこでもできるだろうインターネットを使用しての校閲はできないだろうか、と言うと「それはないだろう」と言われた。これは薄々そんな気はしていたので、ダメージを食らうことはなかった。 インターネットを使用する文章の仕事なら、テープに取り込まれた会話などを聞きながらそれを文書にしていくものくらいだろうとも言われた。それでも問題ないと思った。聞き取りをしながらそれを文書にしていくのは、音楽の歌詞を書き取るとき、それもインターネットが使えなくてアナログでも歌詞カードが手元になかったときに、紙とペンを用意し、曲を聞きながら歌詞を紙に書いていったことがあるからだ。それの応用だと思えば、慣れはいるだろうけれど大して難しくはないと考えた。 だからそう言った。 さらに親はこう言う。 「マニアックな会話…専門用語が飛び交うようなものだったら?」 だとしても、それを聞いて文章化するだけだと思ったし、私は元からいろんな本を読んできた。たとえその中に専門的なものはなくても、きちんと聞き取り、変換して文章にしてしまえば問題ないだろうとも思った。 それでも、親としては問題があるらしい。 その問題について、今の私には分からないけれど。 私はただ、将来私が働くと仮定したうえで考えられる可能性の一端についてを提示してほしかっただけ、それと、少しでもいい、私を肯定してほしかっただけだ。 それなのに、 私がいくら自分を肯定したって繰り出される他人のような言葉や「それでもダメだ」と言い続ける親の台詞に 私は、自分を否定されたような気になった。
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