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第一章 我輩が猫である
我輩 我輩は、猫である。名前はまだない。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。
玄関をガラガラと開けて主人(漱石)が帰ってくる。
漱石 ただいま。
鏡子 おかえりなさい。
漱石 うん。
我輩 学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。
漱石は、帰るなり書斎に入り、すぐ寝てしまう。
漱石 すーすー
我輩 吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗(のぞ)いて見る。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色(たんこうしょく)を帯びて弾力のない不活溌(ふかっぱつ)な徴候をあらわしている。
鏡子 ごはんですよ~。
漱石 うん?はーい。
家族そろって晩御飯を食べる。
我輩 その癖に大飯を食う。
漱石 がつがつ。うまい、うまい。
我輩 大飯を食った後(あと)でタカジヤスターゼを飲む。
漱石 苦い、ああ苦い。
我輩 飲んだ後で書物をひろげる。
漱石 ごちそうさま。
我輩 二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると、教師ほどつらいものはないそうで、彼は友達が来る度に、何とかかんとか不平を鳴らしている。
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