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大王(オオキミ)が病で崩じ、景行天皇と追号されたのはそれからまもなくのことである。茅足(チタリ)はすぐに朝廷を去った。病と称し、大津の妻の実家に引きこもった。息子夫婦を始め、一族もすぐに大津に呼び寄せた。本能的な行動であったといっていい。
茅足の予感は的中した。大和に戦火があがった。
次の皇位を巡っての争いだった。官人たちがそれぞれ、これぞと目する皇子を奉じ、自分こそ次の大王の後見になろうとした結果だった。ある者は朝廷で毒殺され、ある者は屋敷に火をかけられ、ある者は皇子諸共馬蹄にかけられた。混乱は広がり、大和の民衆も兵として徴され、領内で軍勢が衝突することが度々になった。
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