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片隅に小型の電気ストーブが置いてあるだけで、オーバーを脱いだら震えが止まらなくなりそうだった。見ると一ノ瀬も外套を羽織ったままだ。礼央が行ったことのない都会の街並みを連想させるような黒のトレンチコートである。教師と言うよりは刑事のようないでたちだ。だが憎らしいほど似合っている。
礼央は自分の着ている学生用の紺色オーバーを見下ろし、大人と子供の違いを見せつけられた不甲斐なさを実感する。オーバーを脱ごうとしてボタンに手をかけたところで、
「着たままでいいぞ。さすがに風邪を引かせるわけにはいかないからな」
一ノ瀬の口から言葉と一緒に白い息が吐かれた。
「はーい」
気のない返事をして礼央はパイプ椅子に腰かけた。座布団でも敷いといてよ、と言いたくなるほど椅子も冷たかった。
木製の長机の向かい側に腰掛けた一ノ瀬がプリントを差し出す。独特の丸い文字で、一題だけ二次関数の問題が書かれていた。しかもよく見ると礼央が単純な計算ミスで間違った、例の問題とそっくりそのまま同じ問題だ。
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げて礼央は一ノ瀬の顔をまじまじと見つめる。この一問だけなら今日わざわざ自分を呼び出す必要もないだろう。
「どうした?」
「あ、え? これだけ?」
すると一ノ瀬はニヤリと笑い、
「何だ、まだ問題が欲しいか。欲張りだな」
と自分の鞄から何かを取り出そうとした。
「いや、出さなくていいです」
「そうか。残念だな。だが、この問題で充分だろ」
しかしどこか礼央は腑に落ちなかった。
「いや、言ってることがおかしくない? 追試でしょ?」
「何だ、やっぱり問題が欲しいなら遠慮なく与えるが」
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