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「不安……そうだね。彼女とうまくいってないけどどうしようとか、今のバイト嫌だけど辞めたら生活に困るしな、とか、ちゃんと就職しないとな、とか……そういうのがないんだ」
「人の悩みの大半は人間関係だとも聞くしな。とにかく、生活、人間関係、体調なんかの不安を持ちようがないんだから、案外気楽なんじゃないか?」
「たしかに。……うーん、でも……どうしてここへ来たんだろうとか、いつか本当に戻れるのかな、とかは悩みそうだけど……」
「でもそれくらいだろ。逆に、何もせずに日がなごろごろしていられるんだからさ、おまえなんかうってつけじゃないか?」
「うー……でも、娯楽もないんだよね」
「娯楽ってのは休養とか気晴らしだろ。仕事や人間関係のストレスがないんだから、別にいいじゃねえか」
「ああ、なるほど、究極の選択になるのか。ストレスもあって娯楽もあるのがいいか、ストレスも娯楽もないのがいいか……」
「そういうことだ」
「思い出したけど、五億年ボタンって、押したら百万円もらえるんじゃなかったっけ? それなら、元の世界に戻ったら百万円を何に使おうか、ずっと妄想してるだろうなあ」
「ほら、けっこう楽しそうだろ。押してみろよ」
「でも……やっぱり五億年は長い気がする」
「だから、その五億年っていうのはこっちの時間に換算したらで、体験してる間は長い一日に過ぎないんだよ」
「そうかなあ。わかんないじゃん」
「じゃあ確かめるために押してみ」
「……戻ってきたら記憶は消えてるんでしょ。確かめようがないじゃん」
「そこに気づかなくていいんだよ。とにかく押してみ」
「百万円くれる?」
「押したら答えるよ」
安治はボタンを押した。
「……百万円くれる?」
「ボタン押したくらいでやるわけねえだろ」
代わりに取り出した飴玉を握らせると、北条さんは去って行った。
安治はその日いちにち、自分が押したのが五億年ボタンだったのかを考えていた。
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