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はぐらかされている。 芽衣は矢部を振り返ろうとしたが、後ろからがっちりと両肩を掴んでいて振り返れなかった。 ぐいぐいと後ろから押してキッチンへ誘導される。 作業台に載せられたままの買い物袋に、冷蔵庫へ入れてなかった事に気がついた。 「芽衣は何かに集中すると他がおざなり気味になるな?」 作業台と真後ろに立つ矢部に挟まれて、頭の上には矢部の顎が載る。 後ろから伸びた手が買い物袋を開き、中身を出し始めた。 「よし、今日は俺も手伝う」 「やったねー」 「芽衣、包丁とまな板」 「……理人、手、切らないように気をつけてね」 「お前は俺を舐めてんのか」 「え、」 「普段俺はメスを持ってるんだぞ」 「うん、」 「これまで何人の腹を切ってると……」 「わーわーわーっ!!怖い事、言わないで!!」 「怖い話じゃねぇ。俺の仕事だ」 「そうだけど!」 肉や野菜を切る手に芽衣が覗きこむ。 「てめぇの頭で手元が見えねぇだろ」 「あ、すみません」 「心配するな。ちゃんと切れてる」 「それは、わかる。でも、理人」 「なんだ」 「そんなに寸分狂わず大きさ揃えて切ってたら、夜中になっちゃう」 「…………」 「ふふっ、」 「…………」 「あははっ、」 「……大きさ揃えた方が美味いと聞いたことがある」 「そうだね!だから今日のカレーはすっごく美味しいと思う」 「…………うまいな」 「えっ!?何食べたの!?」 「違う。お前はおだてるのがうまい、という意味だ」 「それはそれは、褒めて下さりありがとうございます」 「クククッ、いいえ、どういたしまして」 「……うん?」 「……クククッ、」 「ねぇ、褒めてたのは私の方じゃない?」 覗きこむ芽衣に、破顔する矢部は手を洗うと芽衣の頬を撫でおろした。 「ここから先はお前に任せて、俺は風呂の準備でもしてくる」 さっさとキッチンを出て行く矢部の後ろ姿を見ながら、芽衣は小さく息を吐いた。 逃げられた。 まぁいいか。 言えないような話ではなく、しかし簡単に話す様な話でもないのだろう。 ご飯を食べて風呂に入って。 きっと落ちつた頃、話してくれる。 心の中で頷いて作業を進める芽衣を、矢部はキッチンの入口でじっと見つめていた。
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