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「あー……しばらく何も食えねぇ」
居酒屋から出ると、矢部は首の後ろを擦りながら息を吐いた。
「ねぇ、矢部さん。せめて割り勘にして下さい」
「断る」
「なんでですか!話も聞いてもらったし、それに私、もう社会人でお給料もちゃんと貰ってます。矢部さんまだ学生でしょ」
「女に払わせる趣味はねぇ」
「うわーっ、かっこいい事さらっと言った!」
「はぁ?……ククッ、」
くつくつと肩を揺らしながら、矢部は歩きだしてしまう。
芽衣が隣に追いつくと、矢部の大きな手がポンポンと芽衣の頭の上で跳ねた。
「気持ちだけ貰っておく」
「なんか……ハイ。あの、」
「ん?」
「ごちそうさまでした」
「あぁ」
少し照れくさい。
しおらしくぺこりとお辞儀した芽衣に、矢部はくつりとまた肩を揺らした。
「さて、送っていくが、どこに住んでるんだ?」
「え?あ、この先の秋花マンションです」
「……は?」
「え?」
「いや、……まさか帰る場所が一緒だとはな」
隣で呟かれた言葉に芽衣は数秒考えて、それから矢部を見上げて叫んだ。
「えーっ!?」
「煩い」
「え、え、矢部さんも、ウチのマンションだったんですか!」
「ウチという言い方は少々問題だが、俺も秋花マンションに住んでいる」
「そっかー。ご近所さんだったんですねー」
「近所っちゃ、近所だな。そうとわかればさっさと帰るぞ」
「はーい」
「あー、腹いっぱいで眠くなってきた。これじゃ、勉強できねぇな」
「え、矢部さん、家帰って勉強するんですか?」
「当たり前だろ。来年早々に国家試験だぞ。それにクリアしねぇと医者になれねぇだろうが」
「なるほど」
そういえば、昔そんな話を雄太から聞いたかもしれない。
どれだけ勉強してるんだろうと想像するも、芽衣の想像では追いつかず肩をすくめて終わった。
それほど時間もかからずに、2人はマンションにたどり着いた。
エレベーターに乗り込んで、ボタンを押す。
芽衣は3階、矢部は5階だ。
「俺の家は503だ。よほど困ったことがあったら俺の所に来い」
「ありがとうございます。それじゃあ、」
「あぁ」
エレベータの扉が開き、芽衣が降りる。
扉が閉まる間際、「またな」と矢部がフッと口元を緩め、芽衣もまたコクリと頷いて微笑んだ。
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