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「おー!」
男5人が並んで顔を上げると、それぞれ歓声を上げた。
見上げるそこには正面がガラス張りのビルが建つ。
地域整備により石のタイルが並ぶ歩道、そこから少し奥に立つビル。
隣のビルとの隙間にある道路は、車がやっとすれ違う程度の細い道だが地下駐車場へと繋がっていて、正面の道路を挟んだ向こうは遊歩道になっている。
「いいじゃねぇか」
そう言ったのは、矢部だ。
「ねー!」
視線はビルを見上げながらそう声を上げた男は、視線を矢部に向けた。
「ヤブっち、もちろん引っ越してくるんでしょ?」
「…………」
当たり前のように聞かれた言葉に、矢部は無言のままビルを見上げた。
「矢部。無理にとは言わねぇよ。ウチの産業医と病院の勤務医だ。住みやすい方に住めばいい」
真ん中に立っていた男、社長の柴崎大虎が僅かに振り向きながらそう言うと、矢部は小さく「あぁ」と返事した。
住みやすい方というなら、今住んでいるマンションはもう何年も住んでいるし馴染んでいる。
余計なモノも置かないように、いや、忙しくて殆ど買い物なんてものは行かないせいか、部屋は最初に入った時と変わらずシンプルなままだ。
だが、勤務している病院への通勤を考えると、ここに引っ越してくる方が断然近い。
矢部がそう考えていると、さっきヤブっちと矢部を呼んだ男が口を開いた。
「ここに住んだ方が、病院近いじゃん。いいじゃん、ヤブっちも引っ越してこいよー」
「ライト。矢部が決める事だ。口出しするな」
ライト、と呼ばれた男は「ちぇっ」と口ぱくして肩を持ちあげて見せた。
そんな2人はお構いなしに、矢部はじっとビルを見上げていた。
頭に浮かんでいるのは、芽衣の事だった。
別段、引っ越しをしたって二度と会えないわけではない。
今のマンションとここの距離は、駅一つ分だ。
といっても、その路線が丁度カーブしている中側に位置するため、駅一つと言っても、普通の距離よりは近いはずだ。
行きつけの『montange』はその間にある様なものだし、ご飯に誘う時は連絡先だって知っている。
引っ越しても何も問題ない。
しかし矢部は、はっきりと決めきれず、目を伏せるとため息をついた。
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