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しばらく見ていると、親指タヌキは手刀で咲き終わった花を切り落としている。
ただ奥の方に1本だけ、咲き終わった花がついたままの今にも枯れそうな株があった。
10株ほどあるどれにも親指タヌキがいるが、その花にだけはいないようだった。
「花がお好き?」
急に声をかけられ、思わずビクッと肩が揺れる。
振り返ると、作務衣姿の小柄な老婦人がニコニコしていた。
「あ、すみません。もう閉めますよね。」
大抵、夜には山門は閉じられる。
柊平は慌てて立ち上がった。
「構いませんよ。最近は、半分開けているんです。」
老婦人は穏やかに続ける。
「出かけたタヌキさんが、また夜中に帰って来るかもしれませんから。」
柊平と夜魅は、顔を見合わせる。
「タヌキですか?」
聞き返す柊平に、老婦人はその枯れかけの花のあたりを見た。
「その奥にね、以前主人が衝動買いしてきたタヌキの置物があったの。それがね。」
婦人は楽しそうに口元に手をあてて笑う。
「数日前に、出掛けて行ってしまったみたいなの。」
「置物がですか?」
「可笑しいと思うでしょうね。でも、足跡があったの。あの山門から出て行く足跡が。」
婦人が山門に視線を移す。
「だから、帰ってくるんじゃないかと思うの。」
少し寂しそうにそう言う老婦人に、タヌキの主はもう居ないのかもしれないと柊平は思う。
力の強いというのは、法力的なものだと思っていたが、思い出のようなものなのかもしれない。
「あの、この花はなんて言うんですか?」
寂しげな雰囲気を和らげるように、穏やかな声で柊平が問いかける。
「ああ、それはリコリス・インカルナタよ。タヌキノカミソリって呼ぶ人もいるわ。面白い名前よね。」
そう言って、老婦人はホホホと笑った。
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