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「直人」  名前を呼ばれて相馬直人が振り返ると、そこにはパープルのドレスを着て煌びやかなメイクをした、肉感的な女性が立っていた。彼女、大石晶子は彼が働く歌舞伎町の高級クラブのオーナー兼ママである。 「晶子さん。おはようございます」  直人は開店準備をする手を止め、頭を下げて挨拶した。  その頃の直人は、店の警備や雑用をしていた。拾ってくれたのは晶子の夫の大石雄樹。彼は裏世界に通ずる不動産や金融関係の会社を幾つも持つ社長である。幼い頃親に捨てられ孤児院で育った直人は、親や社会を恨み非行に走っていた。そんなある日歌舞伎町で万引きしたところを大石に見咎められて歯向かい、一発で殴り倒されたことがきっかけで、雇われることになったのだ。威勢と体格の良さを見込まれたからだった。それまで喧嘩に負けた事の無かった直人は、その一撃で大石に畏敬の念を抱くようになった。  だから彼の命令で妻のクラブの警備に回されても、少しも不満など無かった。そして店の経営を一人で担いながら店でもトップクラスのホステスとして働いている晶子のことも、仕事が出来る人物として少なからず尊敬していた。 「この娘、今日からウチで働くことになったから。宜しくしてあげて」  晶子はそう言って、隣に立つ女性を直人に紹介した。 「麗華です。宜しくお願いします」  その女性は軽く会釈をした。直人も合わせて名前を言い、会釈する。だが頭を上げた時、まともに見た彼女に目を奪われた。厚く柔らかそうな唇、深い胸の谷間、タイトなドレスから判るしなやかな肢体の曲線。店に居る女性は皆蝶のように華やかで綺麗だが、正直、彼女はその誰よりも格段に美人で、色気がある。その美貌も魅力的だが、それらよりも直人が釘付けになったのは、彼女の眸だった。黒く縁取られた、意志の強さが滲み出る大きな瞳。ずっと視線を合わせていたら、気圧されてしまいそうだ。そんな眸をした女性を見たのは、初めてだった。 「何か困ったことがあったら、直人に言えばいいから」  晶子の声が、何処か遠くに聞こえる。彼女から目が放せない。けれど業務的な説明を終えた晶子が踵を返すと、彼女は直人に一瞥をくれただけで、直ぐその場から去って行った。
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