東京弁天第3話「ブルー・オ・ブルー」冒頭部分

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 おだやかな三月はじめの海原を、アヤメさまの乗った赤い自転車が走り抜けていきます。  ここは大和から遠く離れた海の上。まわりに船の姿はなく、陸地も見えません。見わたす限り青一色の世界。幼い女神は自転車をこぎこぎ、歌など口ずさんでおりました。  姉さまのお骨を拾いましょ 拾いましょー  姉さまのお骨を集めましょ 集めましょー  アヤメさまの長い黒髪を撫でる、少し冷たい海の風。背中のリュックからは猫如来が顔を出し、潮の香りに鼻をひくひくさせています。  女神が自転車のブレーキをかけました。いつの間にか自分の周囲百メートルほどの海面に、お陽さまの反射とは違う、色とりどりの小さな光が集まってきています。  自転車を降り、たまたま一番近くにあった光の前にしゃがみました。両手で大切にすくい上げてみれば、その正体は柔らかな萌黄色の光を放つ、ビー玉ほどの丸い石です。 「女神のかけら……」  二カ月ちょっと前、この海で大晦日の乱が起こりました。  女神のかけらは、故郷を護って散っていった姉さま方が、独りぼっちで海をたゆたう姿です。掌中でやわらかな光を放つそれは、アヤメさまの知らない姉さまの物のようでした。 「かけらの色は、生前のご気性を反映するのだそうですね。姉さまは、何というお名前の、どんな方だったのですか」  アヤメさまが女神のかけらについて知ったのは、ほんの数日前のことでした。たまたま砂浜に流れついた赤いかけらを見つけた姉さまが、 『これはヒナゲシのかけらですね』と仕事場にお持ちになったのです。 『あら、本当。ヒナゲシですわ』見せられた姉さまも頷きました。そして、 『かけらとは何なのですか?』と横から質問する妹に、こう教えて下さったのです。 『私たちが死ぬと、その魂は天に還り、母なる大弁才天の一部となります。でも、そのためには、地上に未練を残してはなりません。この世で見たもの、聞いたこと。地上で寄り添い守り続けた人間の記憶すら、石に閉じ込めて旅立たなくてはならないのです』 『えっ』アヤメさまは一瞬、言葉を失いました。 『どうしてですか』 『執着を断ち切るためです。私たちは今、御仏と人の間にあり、人を理解するため世俗にまみれています。天に還った時にこそ、本来の弁才天の姿に戻ることが出来るのですよ。 (試し読みここまで)
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