90歳の愛言葉

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やがて、閉じていた次郎の瞳がうっすらと開いて、私を呆然と見上げて言いました。 「……春代。なんでここにおるんや」 近くにいた医師達が、息を切らして次郎に問いかけます。しっかりしてください鈴木さん! と、救急車の中が騒がしくなっていきます。 「──あなたの迎えに来たんですよ。ごめんなさいね。あなたが死んだのは、私が死んだせいだから。神様に頼まれて、迎えに来たんですよ」 聞こえているのかわかりませんでしたが、次郎は苦笑いをしながら、こう言いました。 「……いつもすまんな。春代。俺はもう眠いから、あとで起こしてくれや」 ──ほら、また勝手なことばかり。 自分の状況がわかっているのでしょうか。死ぬ前に何か一言、言っておかなくていいのですか。遺言は書いたのでしょうね。遺産の取り分はちゃんと平等に書いたのですか。そんなに勝手だから、こんな目に遭うのですよ。 言いたいことが多々ありましたが、担架に寝転がった、この我儘な亭主の姿を見ていると、なぜか悲しくなって、私はつい頷いてしまったのです。 「えぇ。勿論ですよ」 ──本当、私はこの人に甘いこと。 孫にも言われましたね。もっと厳しくしてもいいと。でも、どうしてもそれだけはできなかったのです。私がここまで、人生を楽しいと思えたのは、彼のおかげなのですから。 しわがれた次郎の頬に、優しくキスを落とします。これからどうなるのかは、よくわかりません。だから、今までの人生のことをつぶさに思い出しながら、溢れ出す次郎への感謝の気持ちを込めて、私はもう一度だけ、愛を込めたキスをしました。 「おやすみなさい。次郎」
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