1人が本棚に入れています
本棚に追加
やがて、閉じていた次郎の瞳がうっすらと開いて、私を呆然と見上げて言いました。
「……春代。なんでここにおるんや」
近くにいた医師達が、息を切らして次郎に問いかけます。しっかりしてください鈴木さん! と、救急車の中が騒がしくなっていきます。
「──あなたの迎えに来たんですよ。ごめんなさいね。あなたが死んだのは、私が死んだせいだから。神様に頼まれて、迎えに来たんですよ」
聞こえているのかわかりませんでしたが、次郎は苦笑いをしながら、こう言いました。
「……いつもすまんな。春代。俺はもう眠いから、あとで起こしてくれや」
──ほら、また勝手なことばかり。
自分の状況がわかっているのでしょうか。死ぬ前に何か一言、言っておかなくていいのですか。遺言は書いたのでしょうね。遺産の取り分はちゃんと平等に書いたのですか。そんなに勝手だから、こんな目に遭うのですよ。
言いたいことが多々ありましたが、担架に寝転がった、この我儘な亭主の姿を見ていると、なぜか悲しくなって、私はつい頷いてしまったのです。
「えぇ。勿論ですよ」
──本当、私はこの人に甘いこと。
孫にも言われましたね。もっと厳しくしてもいいと。でも、どうしてもそれだけはできなかったのです。私がここまで、人生を楽しいと思えたのは、彼のおかげなのですから。
しわがれた次郎の頬に、優しくキスを落とします。これからどうなるのかは、よくわかりません。だから、今までの人生のことをつぶさに思い出しながら、溢れ出す次郎への感謝の気持ちを込めて、私はもう一度だけ、愛を込めたキスをしました。
「おやすみなさい。次郎」
最初のコメントを投稿しよう!