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「行かない。僕が行ったら、きっとあの人が迷惑するもん」
『あの人』。桐野は、自分の父親の事をそう呼んだ。それは、園邑が生きていた頃から変わ
らなかった。
桐野は、資産家の娘の家に婿入りした父親が愛人に生ませた子どもだった。認知はされてい
るが、生まれた時からほとんど交流はない。父親である園邑省三は、先代に経営能力を認めら
れ、若くして一族が有するグループ企業のトップに君臨してはいるが、直系親族でないことが
一族の中での立場を脆弱なものにしていた。そして一人息子の園邑優斗が亡くなってから、桐
野の存在は、一族にとって不穏の種となったのだった。
「葬儀の時の事、今も覚えてる。みんなが僕の事、幽霊見るみたいな目で見てさ。その後は、
誰も目を合わせようとしないの。わかってはいたけど、あの場にいちゃいけない人間なんだっ
て、思い知らされたよ。なのに何で今頃、あんなもの送ってきたのかな」
細い肩を震わせて絞り出される桐野の声が、布団の中にこもった。それは、生まれた時から
自分の存在を否定されて生きてきた者の嘆きであり、誰よりも自分の事をかわいがってくれた
優斗との関係を認めようとしない者たちへの怒りでもあった。
御崎はその痛みを鎮めたくて桐野の背中をさすった。背骨が浮き出した肉付きの薄い背中が、
少年のような心の脆さを想起させる。すると突然、桐野は振り向いて、御崎の大きな手にすが
ってきた。
「恭一、抱いてよ」
御崎は桐野の体を引き寄せると、両腕で強く抱きしめた。桐野は目を閉じて御崎の胸に顔を
埋めたが、その体勢のまま御崎が動く気配がないのに気づくと声を荒げた。
「ずるいよ。こんなので誤摩化さないで」
「誤摩化してなんかないよ。俺の手に癒しを求める客は多いんだぞ。奏が眠るまでこうして
てやるから、眠って忘れちまえ」
「そういう意味じゃないのに‥‥」
いじけた桐野はぶつぶつ呟いて腕の中から御崎を睨みつけたが、御崎は目をつむって桐野の
攻撃をかわした。桐野は仕方なく、御崎の脇腹を軽くつねって言った。
「眠るまでじゃなくて、朝までこうしてて」
「わかった。その代わり、おとなしく寝ろよ」
「うん」
桐野を胸に抱き、片手で背中をさするうち、御崎もいつしかうとうとしていた。
園邑が夢に出てきたのはどれくらいぶりだろう。御崎は夢の中で、園邑の膝枕で寝ていた。
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