第1章

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 瀬野は男と二人きりになる時、まず相手がどこに行きたいかを聞く。それはいつのまにか男 と会う時の習慣となっていた。ビジネスホテルに呼ぶ男はカミングアウトしていない事が多く、 廊下に声が洩れるほどの激しいプレイはしない。だがセックスそのものが目的で、相手をデリ ヘルか何かだと思っている。溜まった分を射出したら終わり。その後は翌日の仕事に差し支え ないよう、さっさと帰れとばかりにベッドを占領して眠り込む。その点、ラブホテルを指定し てくる男は、何をするのもゆとりがある。ベッドやバスタブで下らない話をして時間を過ごし たり、大声であざとく喘ぐAVの女たちに大笑いして朝を迎える事もある。用心しなければな らないのは、相手の自宅に呼ばれた時だ。手料理を振るまい、ワインで酔わせた後で事に及ぼ うなどとムードづくりをする奴はまずいない。ホテル代をケチっているか、外に持ち出せない 拘束具で手荒なもてなしをしようとギンギンになっているかのどちらかだ。どっちにしても大 声が出せないように猿ぐつわを噛まされる羽目になる。どこに呼び出されるかで、瀬野は相手 の欲望を推し量る癖がついていた。  ここは新手のハッテン場だろうか。雑居ビルの一室とは思えない豪華な設えと、何のコスプ レか知らないが、ケーシー白衣を着た若い男。金を使った分の見返りを求められたら面倒な事 になりそうだと、瀬野は思った。  すぐにでも逃げ出す口実を考えるべきかと頭を巡らせていると、窓際の薄いカーテンが開い て、うつ伏せに寝ていた男が顔を上げた。  「瀬野君だね。井澤です。もうすぐ終わるからちょっと待っててくれ」  「あの、俺‥‥」  瀬野は口を開いたが、井澤は気にもとめずに再び施術台にうつ伏せになると、別の白衣姿の 男のマッサージを受け続けた。ここが何のための部屋なのか、井澤が自分に何をしようとして いるのか、瀬野は想定されるあらゆる事態を考えようと努めた。だが気がつくと、瀬野の目は マッサージを施す男の手の動きを追っていた。  首から背中、腰へと、厚みのある手のひらが井澤の浅黒く灼けた体の上を移動する。その動 きに合わせて小さな円を描く親指。背中から脇腹へと移動する四本の指は、しなり、突っ張り、 やや贅肉の付いた肉体を捕らえて離さない。体に軽く圧力がかかるたび、井澤は小さく息を吐
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