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博雅が晴明の屋敷を訪れたのは笛の会の帰り。青磁の狩衣に葡萄(えび)色の指貫のその姿は凛として清々しい。
覚えてきたばかりの新しい曲を聞かせてやろうと、懐の笛に手を触れる。
春花も聞きに来ればいいがと思いながら、相変わらずの荒れ屋のような屋敷の門を潜る。
と、その庭に籠もる花の香りに驚いた。
もう秋も終わりだというのに咲き誇る金木犀??立ちこめる濃密な香り。
ふと気づけば庭に春花が立っている。
「春花」
微笑んで近づいた博雅が、春花の表情に気づいて眉を寄せた。
「どうした?」
普段感情をあまり表さない春花の細い眉が、愁いに翳っている。
「しばらくここに来ぬ方が良い」
いきなり言われて面食らう。
「……なぜそんな事を?何かあったのか?」
「花が、哀れだ」
視線を金木犀に向けたまま春花が言う。言葉の意味がつかめずに博雅が困惑する。
「……春花?」
こちらに一瞥もくれずに黙って花を見つめる春花に、それでも博雅は誘いをかけてみた。
「屋敷に入らないか?新しい曲を覚えてきた」
「式がいるから行かぬ」
いつもは式など気にした事はないくせにと。春花を振り返りながら博雅は母屋へと向かった。
いつも式が控えている南階の上がり口。 顔を上げたのは、いつぞやの金木犀の薫。
ほのかに笑みを含んだ唇の……艶かしさにどきりと した。
……前からこんな風情だったか?
何となく戸惑って歩みが遅くなる。
春花が避けていた式は、この薫か?
じっと見つめてくる博雅に頓着せず、音もなく立ち上がった薫が中へと彼を誘った。
捲った御簾を潜る時、ふと首筋にひやりとしたものを感じて。 博雅の足が止まる。
――視線?
ゆっくりと首をめぐらせて背後を顧みる。……が、そこには面を伏せた薫が控えているだけ。
……気のせいか? 首をかしげながら母屋へ入っていく博雅の後姿を、顔を上げた薫がじっと見つめていた。
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