第3章 だいじなもの

4/6
前へ
/17ページ
次へ
人は当たり前になればなるほど、その当たり前に気づくことを忘れてしまう。 日常化されてしまうと、またその日常は真新しさを失い、 過去のものへと記憶を処理し、 また日常からかけ離れた真新しさを求めて 暇を暇として費やし続けるのだ。 これが人間なのだ。 忘れてはいけないと思いつつ忘れていくのだ。 冷たくロボットのように毎日を過ぎ去っていく日常はその意味を一番に理解しているのは もしやロボットなのかもしれない。 同じ処理をひたすら動かし続けれるまで 動かすロボットは 暇を暇とも思わず ただ与えられた動作を処理し続けるのだ。 彼らの方が 日常を懸命に生きている気がする。 人はロボットを作れてもロボットにはなれな い。 かといってロボットのように生きようとも思わない。 しかし、ロボットを作れる技術があっても 日常を非日常として扱うこともなければ、 日常を懸命に生きてやるという意気込みも 殆どの人々が思っていないだろう。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加