泣く子には敵わない

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(今夜はあと一回くらいぐずるかな……)  スマホの時計を見ると午後九時過ぎ。  家事の残りも終わったし、パパは夜勤だから朝まで帰らない。  ぽっかり空いて出来たささやかな一人の時間。亜砂はエプロンを外し、ソファに腰を下ろして伸びをした。関節が伸びて気持ちがいい。 「何しよっかなー」  風呂はもう少し後でいい。  友達とLINEでもしようか。  それとも、録りだめのドラマかネットで動画でも観ようか。積ん読している漫画を読もうか。  とりあえずお茶でも淹れようと思った。そのときだった。  砂彩の泣き声が聞こえた。  予想以上に早い第二波に、亜砂はガクっと項垂れる。  それでも重い腰を上げ、砂彩のいる部屋に向かった。 (あれ……?)  先ほどと寸分変わらぬ薄暗い部屋。だが、泣き声が遠くなった。  奇妙に思って忍び足でベビーベッドに歩み寄ると、砂彩はぐっすり眠っていた。  だけどいまだに家中に響いている。  赤ちゃんの泣き声が。  部屋から出ると、遠かった泣き声が近くなった。  ……どこから?    すぅ、と指先が冷たくなった。緊張がぴりりと走り、にわかに喉が渇く。  隣家から、だろうか。  違う。  両隣の住人は独身のはずだ。  この階で、赤子は亜砂の家ーーすなわち砂彩しかいない。  最上階だから、上とは考えられない。  ならば下の階?  否、近すぎる。この泣き声はどう考えてもうちの中からだ。  浅い呼吸を整えるために、息を吐いた。  まだ泣き声はやまない。  発情期の猫の鳴き声かとも思ったが、このマンションはペット禁止だ。  それにこれは、あの耳をつんざくような鳴き声ではない。  毎日亜砂が耳にしている、赤ちゃんが母親を呼ぶ声だ。
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