秋の日にそれと出くわす

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       ◆ ◇ ◆ ◇  いつもよりも少しだけ風の冷たい秋の日の夕方。学校からの帰宅中、いつものように自転車に乗って橋を渡っていると、視界の隅にあるものが見えた。  おもむろに自転車を止めて、誘われるままに目を遣ったのは対岸の河川敷だ。  うろこ雲が浮かぶ青空の下、灰色がかった濃い青の河川と、乾いてくすんだ色の草木が茂る堤防の景色が広がる。肌寒さも相俟ってか、いやに寂寞として見える秋の景色だ。  けれど、景色の随分と奥の方、橋から随分と離れたとある一角だけ赤やピンクに彩られているのが見て取れた。  春夏の花々や紅葉した葉の彩りに比べると、やや落ち着いた色味のそれが、遠目からでもコスモスとわかったのは、毎年見たゆえの学習の賜物だろうか。  河川を吹き抜ける強い風に煽られたコスモスが、周囲に生えたススキや背の高い野草と共に揺れる様は、何とも健気で風情がある。 (今年もコスモスがちゃんと咲いてたんだな)  毎年、秋になると、学校帰りにこの橋の上からコスモス畑を眺めるのが楽しみだった。  昨年まではもう少し早い時期から、もっと広い規模のコスモス畑を見ることができたのだ。それこそ、私が今いる橋のたもとから随分と向こうまで堤防がコスモス色に染まっていた。  今年もコスモス畑は同規模で展開されたのだろうけれど、残念ながら私がコスモスに気付くのが遅かったみたい。もうほとんどの花が終わってしまったようだ。 (今、十月の終わりだもんね。そりゃあ、花の時期も過ぎるよ)  コスモスに気付くのが遅れた原因は十中八九、高校生になったからだろう。  部活や委員会で帰宅時間が遅くなったり、週三で来ていただいている家庭教師を待たせまいと、薄暮の帰路を景色など脇目も振らずに帰っていたために、最盛期のコスモス畑を見逃してしまった。 (このところ、ずっと慌ただしかったものね。でも、ほんのちょっとでもコスモスが見られて良かったな)  家の近くにあるこの橋から臨む風景は、幼い頃から長年に渡り慣れ親しんできたものだ。どんなに年月が経とうとも、風景はあまり変わり映えがないものの、それでも季節によって景色の色みや目立つ植物などが変わる様は、見ていて飽きない。それはコスモスの盛りを過ぎた今の堤防を見てもかわらないのだけれど―― (この景色も風情があるけど、やっぱり大きなコスモス畑も見たかったな)  橋からの展望は存分に楽しんだ。それでも、視界にポツンとだけ映るコスモスの赤やピンクを見ると、物足りなさを感じないわけでもなくて。 (そうだ。もっと、コスモス畑の近くに寄ればいいんだ)  こうして立ち止まったのも何かの縁だ。いつもの橋の上から視点を変えて、秋の河川敷を見てみよう。 (視界一面のコスモスと河川と空なんて、絵になりそう。偶には寄り道もいいよね)  想像するだに美しいその光景に、おのずと心が弾んだ。  帰路を外れ、河川敷に沿って自転車を走らせる。  普段、この堤防に沿って移動することはないので、新たな発見があって面白い。橋の上からでは死角になる場所に、小さな手芸店や個人宅の敷地に造られた美しいイングリッシュガーデンを見つけられたのは、かなり嬉しい。 (今度のお休みは、この辺をじっくり散歩してみよう。その時は、温かいお茶を持っておかないとね)  ここは日の高い時間帯なら散歩に丁度良いかもしれないけれど、日が傾くと河川から吹く冷たい風が少し堪える。  冷たい風に吹かれながら自転車を走らせること数分。ようやく、コスモス畑に辿り着いた。  赤や濃いピンク、白のコスモスが視界の端から端まで所狭しと植えられていて、風が吹く度に、ユラユラと揺れ踊っている。  耳を澄ませば、なんとも様々な音が聞こえてきた。  橋や道から往来する車の走行音、風の音、河岸で水が跳ねる音に加えて、草木の囁きも絶えず耳に入ってくる。  夏の間に伸びきったススキを始めとした背丈の高い雑草は、秋風に晒される内に、すっかり瑞々しさを失ったようだ。草同士が擦れ合う音がサワサワと乾いていた。 (あら、近くに金木犀があるのね)  風に乗って漂ってくる甘い香りに、今は姿は見えない橙色の小さな花を思い出す。  ここはなんて、秋の気配に溢れた場所だろう。 (ちょっとだけならいいかしら)  腰掛けられる場所を探して辺りを見回すが、ベンチや座れそうな物はない。少し考えてから堤防の中腹まで下り、法面に腰を下ろす。ジャージを入れたバッグをクッション代わりにお尻に敷いたから、今日はバッグも忘れずに洗濯しなくては。  安定するまで何度か座り直し、落ち着いたところで鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出した。鼻歌交じりに鉛筆を持ち、眼前に差し出す。  ――さあ、どの景色をスケッチしようかしら?
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