秋の日にそれと出くわす

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       ◆ ◇ ◆ ◇  風が幾分か冷たさを増し、西の空と雲が夕日で淡い黄色に染まってきた頃、不意に男の人の声が聞こえた。 「もしもし」 (?)  何処からか発せられたその声音は、聞き覚えがあるものだ。 (先生?)  私はスケッチブックから顔を上げて、その低く落ち着いた声音の持ち主を探す。  けれど、自分の周囲を見回しても予想した人物は疎か、人の姿も見受けられなかった。いたとしても、対岸や遠い橋の上を走る車の中だ。 (聞き違いだったのかな? 先生の声がしたと思ったんだけど)  怪訝に思って小首を傾げつつも、気を取り直して、スケッチブックを見下ろす。  今、描いているのはコスモスと河川敷の風景画だが、描き始めて間もないので、まだラフスケッチの段階だ。  絵と眼前に広がる風景を見比べた後、ふと空の低い位置にある太陽に視線を遣る。自転車でコスモス畑に向かっていた時に確認した時よりも、日は随分と落ちていた。  腕時計を確認する。時刻は午後五時少し前。 (今日は帰っても特に用事がないのよね。もう少しだけ描いてもいいかしら)  鉛筆を持ち直して、スケッチを再開させる。しかし、後の用事はないとはいえ、きっとそう長くは描けまい。  秋の日は釣瓶落としというくらいだ。空はまだ明るくても、あと三十分くらい……もしかすると、それよりも早く日没を迎えてしまう。そうなれば、じきに外は暗くなり、スケッチどころではないだろう。スケッチブックが夕闇に飲まれれば、描きたくても描けやしない。 (もしも、今日、先生がお見えになると分かっていたら、こんなふうに悠長に絵を描いていないで、さっさと家に帰るんだけどな)  今し方、そのひとの声を聞いた気がしたからだろうか。スケッチブックにコスモスを描き込む傍ら、ふと先生のことが脳裏に過ぎり、フフと小さく笑った。  私が『先生』と呼ぶそのひとは、私が高校に入ってからお世話になっている家庭教師だ。  私事を探られることを嫌うので、年齢を尋ねたことはないが、外見から予想するに恐らく二十代前半。  顔立ちは端正。でも、感情表現が不得手なのか真顔のまま表情がさほど変わらず、如何にも鹿爪らしい七三に分けた黒髪と堅物な印象を与える黒縁眼鏡、黒っぽくて地味な服装も相俟ってか、秀麗()の印象は薄い。  性格は――私はそうは思えないけれど――うちの家族曰わく、やや難あり、と。  口数は決して多くなく、お世辞にも愛想がいいとは言えないので、取っ付き辛い印象は確かになきにしもあらず。また、風貌は新任教員のようなのに、勉学以外にも礼儀や態度、言葉遣いに対して厳格なところとその貫禄が『ベテラン生活指導教諭に近いものがある』とは母の言だ。 (確かに、お説教の時の先生は怖いかな)  先生から派手に叱られたことはないけれど、窘められたり、お説教をされたことなら幾度もあった。  お説教自体は簡潔で短いが、矢を射るが如く的確に畳み掛けてくる一言一言に、耳も心も痛くなる。  あと、何よりも怖いのはお説教中の先生の目だ。  端正な顔立ちのひとが、冷厳な態度はそのままに、切れ長の目を鋭く細めてこちらをジトリと睨め付ける。その赤銅色の双眸の美しさも相俟って、威圧感が半端ない。その恐ろしさは、さながら蛇に睨まれた蛙――肩を竦ませて震え上がるほどだ。  でも―― (朴念仁だし、厳しいし、怒ると凄く怖いけど、先生は誰よりも誠実で優しいのよね)  私は知っている。  先生が寡黙なのは、その思慮深さ故だといあことを。  どんな内容であろうと、先生は真摯に私の話に耳を傾け、意見を求められれば、誤魔化すことなくきちんと述べてくれる。  そして、先生が厳しいのは、生徒に学びの機会を与える役目を担う教師として、責任を以て生徒に接しているからだ。  また、生徒への思い入れも強いらしく、私を見守る眼差しは誰と比べても篤いし、身を案じて警戒を呼び掛けることもしばしばあった。 (警戒といえば)  はた、と少し前にあったことを思い出して、鉛筆を持つ手を止める。  振り返るのは、今からひと月くらい前の、家庭教師の授業後のことだ。  ――ゆづるさん、十月に入ったら、にくれぐれも注意なさい。  平素に増して鹿爪らしい顔をした先生は、私にこう告げた。
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