時に、大和撫子

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四年間、地元から新幹線と特急を乗り継いだ遠くの大学に通っていたのだけれども、この度生まれてから長い時間を過ごしてきたこの地に舞い戻ってきた。 何故元々通っていた大学の院にそのまま上がらなかったのか、これにはそれなりに深い訳がある。 大学四年の春、大学院に進学したいということを両親に相談したら「地元の共南大の院か、それ以上の偏差値の大学院に進むこと。それ以外の院は認めない」と、何とも不条理な条件を突きつけられたのだ。 共南大は、偏差値で言うと、私が元通っていた城北大よりも数段階上。 学歴至上主義の両親が考えそうなことである。一人娘の最終学歴が『あの』共南大の大学院となれば、さぞかし鼻高々だろう。 私という存在を利用されている感が否めないのは、多分気のせいではない。
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