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山中で暮らすようになった桂繊は、質素な衣服を身に付け、昼は山菜採りをし、朝夕は仏典を読みながら静かに過ごしました。
しかし、こうした生活は長くは続きませんでした。時の権力者・洪国栄〈ホングギョン〉が政界を退くことになり、国家より端女(はしため)を下賜されることになったのですが、その中には桂繊も含まれていました。国栄の意向を反映したものかも知れません。妓籍に入っている彼女は王命を拒むことは出来ず、国栄のもとで働くことになりました。国栄は酒宴を開くたびに桂繊を呼び歌わせました。彼女の歌が終わると客たちは皆、彼女を讃え、多くのお金や反物を与えました。
「でも、あの方たちは本当に私の歌を誉めたのかしら? 単に主人に諂っただけだったかも知れませんね。……考えてみると世の中のことは全て一場の夢なのですね。」
桂繊は、しみじみした口調で言いました。飛ぶ鳥も落とす勢いだった洪国栄も結局は都を逐われ、惨めな最後を送ったのですから。
国栄が都落ちすると、桂繊は妓籍を抜けました。そして旌善郡に戻り再び仏に仕える生活をするつもりでした。
「ところが孝田(沈魯崇の号)さまの御一族のあの方に出会ってしまって……。」
桂繊が笑顔でこう言うと魯崇もつられて笑いました。
桂繊が旌善に発とうとした時、彼女の音楽人生に大きな影響を与えるもう一人の人物が訪ねて来ました。彼の名は沈ヨンいい、李鼎輔と同じように多くの音楽家たちを支援していました。彼と言葉を交わしているうちに、その人柄に引かれた桂繊は彼のもとに行くことにしました。さっそく坡州にある沈ヨン屋敷の近くに家を求めた彼女は、そこに住み、沈 の屋敷に通って音楽活動を再開しました。
沈 の屋敷には、一流の音楽家~ 歌手、演奏者たちが集まっていました。彼らとの交流が桂繊にもたらしたものは少なくありませんでした。彼らと切磋琢磨することで彼女の歌声は以前にも増して艶やかになりました。
さて桂繊たちの後援者である沈ヨンは彼らの日頃の成果を発表する場も用意してくれました。その一つが大同江の船上で行なわれた平壌監司の還暦の祝賀宴での公演でした。この公演は大好評で監司は沈ヨンに莫大な褒美を与えました。
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