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奏斗side
昔の話だ。
両親の言葉が、苦痛だったことがある。
「奏斗は父さんの息子だな」
「カナちゃんはお母さんの息子だね」
俺の中に愛するパートナーの面影を見つけて嬉しかったのかもしれない。それがどれほど愛情に満ちた表現なのか、今ならわかる。
けれど、綾瀬奏斗十一歳のあの当時は、
「俺の息子だ」
との直接的なひと言が欲しかった。
母さんに「父さんの息子だ」と、父さんに「母さんの息子だ」と言われる度に、遠回しに「俺の息子ではない」と言われているような気がしていた。
ある平日のことだった。たしか球技大会の日だったと記憶している。競技はバスケとドッジボールで、事件が起きたのはバスケの試合が一通り終了し、後片付け作業をしている最中だった。
電子得点板の前をクラスの女の子が歩いていた。得点板は液晶のディスプレイと金属製の足からできていて、それを繋ぐのは太いネジだった。
ボルトが、緩んでいるのが見えた。
「危ないっ!」
ディスプレイが落下する。女の子めがけて倒れようとする。
駆け出した俺は自分の体をディスプレイとその子との間に差し込み、咄嗟に右腕で顔を庇った。
最後に見えたのは、押し潰さんばかりに迫る液晶画面。
それからはあまりよく覚えていないのだが、俺は気がつくと病院のベッドの上にいた。
「奏斗っ!」
病室に飛び込んできたのは父さんだった。確かその日は母さんが学会でいなかった。父さんも海外だったと思うが、後から聞いた話では、空港に着いた瞬間に担任から電話を受けて慌ててタクシーで迎えに来たのだという。いつも「カナちゃん」と小さい子供みたいに呼んでくる父がきちんと名前を呼んでいる姿は必死で、心配しているのが伝わってきてなんとなく恥ずかしかった。
「大丈夫かっ? 怪我は?」
父さんは俺の両頬を挟み、しっかりと目を合わせた。俺はその真剣な眼差しに気圧されてしまう。父さんは俺の腕に視線を落とした。
「骨折か…」
ディスプレイを受け止めた衝撃で、俺は右の前腕を骨折していた。液晶は落下の衝撃で割れて液体が飛び出してきたが、俺には幸いかからなかったし破片もそう飛んでこなかった。後の担任の話では、女の子にも怪我はなかったという。
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