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死んだ時もああ、死んだのか。と、わりと冷めた感想しか湧かなかったし、それなりに満足した人生を送ったような気もしてせいか、絶望もなければ大きく取り乱す事もしなかった。
勿論とこどころでちょっとずつ後悔はあったし、やり直せるなら多くの人がYESと答えるかもしれないが、でも繰り返したとしてもきっと同じような所で少しずつ後悔して、きっと同じような気持ちを持って死ぬんだろう。
だから人は個人的な意見に限らず輪廻転生を願わずにはいられなくて、『もしも』の世界に憧れる。
もしもやり直しが出来たら、今度はもっと勉強しよう。もっと恋をしよう。牛乳を飲んで、ダイエットを頑張って、もっと幸せになって、もっともっと色んな事を経験して、もっともっと充実した人生を送りたい。
この『もっと』という言葉は人の後悔の表れで、さながら今目の前に積もっていく雪のように音もなく心や体に積もっていくものなんだろう。
そしてそれはたとえ輪廻転生に成功しても決して消える事はなくて、記憶がないままだったとしても、いつまでも残る足跡のようにくっ付いてくるもの。
天国と同じように地獄があるとしたら、人間が持つ終わりのない『もっと』と思う欲まみれの気持ちが、その地獄って奴なのかもしれない。
だから人は天国(もしも)に憧れる。地獄ばかりは大変だから。
昔テレビで、たまに二回目のリセットをした事を覚えている人がいる人がいると見た事があった。
その時は今の事だけじゃなくて昔の事も覚えている訳で、覚えるのも面倒な事も覚えている、ゲームで言う所の『強くてニューゲーム』な状態で、中には天才だとか言われる人もいるんじゃないかと考えた時は、特に深く考えずに羨ましいと思った記憶がある。
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