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1、今は昔…
黒絹の夜空に浮かんだ満月が、天に届く高き峰を照らし出していた。
鬱蒼とした木々が生い茂る小高い丘。
そこから見おろしたリーバンシュタインの都は、灼熱の炎に包みこまれ、宵闇の冷たい虚空に霧のような白煙を舞い上げていた。
どうして、こんなことになってしまったのかっ!
どうして!!
刃毀(はこぼ)れを起した剣を携え、あちこちに鮮血のまだら模様を刻んだ甲冑を纏ったその“少年”は、血に塗れて項垂れた青年騎士を肩に抱えながら、月光の切っ先が降り落ちる深い森の中に分け入っていった。
長い睫毛に縁取られた深緑の瞳を細め、今にも溢れ出しそうになる涙を必死で堪えながら、“少年”は戦乱で重症を負った青年騎士の名を呼んだのである。
「ラヴァン!死ぬな!絶対に死ぬな!そなたは、この私を守ると言った!死なぬと言った!だから、だから・・・・絶対に死ぬな!誇り高き宮廷騎士が、主君との約束を破ってなんとする!」
そう言った少年の声は、もはや叫び声となっていた。
少年は、咄嗟に立ち止まって剣を地面に突き立てると、わずらわしそうに兜を脱ぎ捨てて、艶やかな射干玉(ぬばたま)色の短髪を、山脈から吹き降ろす冷たい夜風に露にする。
揺れる前髪から覗く、澄んだ深緑の瞳が、甲冑の肩に凭れかかったままの青年騎士の顔を不安そうに覗き込んだ。
青年騎士は、光を失いかけた薄青色の双眸を、鳶色の前髪の合間で小さくもたげて、鮮血の帯が滴る唇で力なく微笑んだのである。
「・・・・殿下・・・・・申し訳・・・・ありません・・・・・・・お逃げ下さい・・・・お早く・・・・私を此処に捨て置いて・・・・・どうか、お逃げください・・・・私は、もう・・・・助かりませぬ」
蒼白になった精悍な頬に、血のりが付着した髪束が音もなく零れ落ちると、大きく咽(むせ)返ったその体が、崩れ落ちるように草の上へと倒れ込んでいく。
「ラヴァン!」
少年は、秀麗な頬に宝石のような涙を零し始めると、血に塗れた青年騎士の身体にすがりつき、その広い肩を両手で掴んで大きく揺さぶったのである。
「嫌だ!駄目だ!父君も母君も死んだ!此処でそなたに死なれたら・・・・私は、私はどうしたらいいのだ!?この私を一人置いて逝くのか!?ラヴァン!ラヴァン!!」
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