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―――
病室の窓の外に映る夕焼けを見ていると、不意に目頭が熱くなってきた。溢れ落ちる涙を堪えることが、恥ずかしながらできなかった。
陽香との物語は完結した。その喪失感は、はかり知れなかった。
そこで間の悪い弘美が病室にやってきた。
「記憶が戻ったんだって?」
いつものように少し訛っていて、お節介で元気のいい声だった。彼女に背を向けたままこっそり涙を拭いて、良一郎は答えた。
「戻ったのは陽香との記憶だけですけど……。でも、その記憶といっしょに……いちおう、過去の忘れ物を取ってくることができました……」
なぜ消防士を志したのか――すっかり抜け落ちていた、その理由も、改めて手に入れた。
もっとも職務中に冷静さを欠かなければ、元々記憶を失うことはなかった。そして冷静さを欠いていたのは、過去の体験が背景にあったから――。
因果が、まるで輪のように繋がっていた。
ただ、夢の中で過去は変わった。
それは、良一郎が記憶を失わなければ成し得ないことだった。
しかし、今ここに存在する現実が変わったわけではない。
夢の中で陽香を救ったことも、自己満足といわれればそれまでだ。
けれどあのとき――陽香は笑ってくれていた。笑って、ありがとうといってくれた。
良一郎にとっては、それがすべてだった。
もしかすると、今回の出来事は陽香のイタズラだったのかもしれない――そんなふうにさえ思えてくる。
りょうちゃん――陽香の呼ぶ声が、今も耳の奥にしっかりと残っている。
夢の中で陽香はあの時、『二度も』助けに来てくれて、といった。
二度、というのは、九年前に陽香を助けようとして叶わなかった時と、そして今回の夢の中での出来事のことだろう。
二つが同時に存在することも、それを陽香が知ることも、ありえるはずがない。けれど彼女は確かにそういった。
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