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ウシワカが黒ずくめに抱きついたとき感じたのは、胸の柔らかさだけではない。なんともいえないいい香りがしたのだ。
(いや)
ウシワカは雑念を振り払うように、首をぶんぶんと振った。
(いや。カイソンの言う通りかも知れない。俺の気の迷いなのか)
ウシワカは思い直した。
ウシワカは源氏の棟梁、ヨシトモの息子だ。ヨシトモはウシワカがニ歳のとき、宿敵である平家のキヨモリに滅ぼされた。それゆえウシワカは成長したら必ず平家に復仇せんという志を抱いている。
(俺は大志を抱いている。女の幻想に溺れて敵を逃したとなりゃあ、大志が泣く。敵討の成否も怪しくなっちまう)
「カイソン」
ウシワカはカイソンの眼を見、声を励ました。
「奴の正体、突き止めようぜ。でないと、どうもすっきりしねえ」
「おうよ。そう来なくっちゃな。俺は取られた刀を取り戻したいし。たとえやつが物の怪だとしても、正体を暴いて退治してやる」
「協力してくれそうな奴を一人知ってる。今から行く。ついてくるか?」
「いいとも」
カイソンは小柄なウシワカから見てやや見上げる背丈がある。見上げ見下ろす二人は、目を合わせてにやっと笑った。
「五条大橋の近くまで、引き返すぞ」
ウシワカが後方を右手親指で示すと、カイソンは黙って頷いた。
(三)
東の空に、太陽が昇った。
辺りが急速に明るくなって来ている。
ウシワカとカイソン。二人の少年が向かったのは、黒ずくめと出会った五条大橋の上ではない。
橋の下、河原にある小さなあばら家だった。
川面に向いた入口に、「刀売リマス」と墨で書かれた木片がぶら下がっている。
あばら家は茶色く変色した藁を積み上げただけのもの。家ではなく、掘立小屋だ。
「おい、ネエさんいるか。俺だ。ウシワカだ」
入口にぶら下がっている木片を持ち上げ、ウシワカが呼ばわった。
返事はない。
「いるんだろ。入るぜ」
ウシワカはずかずかとあばら家の中へ踏み込む。
「いいのか? 返事ねえのに」
言いながらカイソンが後に続く。
「カイソン」
ウシワカが後ろを一瞥し、囁いた。
「俺の背中に掴まれ」
「は?」
「早く」
ウシワカが叫ぶとほぼ同時に、二人の足元の床にぱっくりと大きな穴が開いた。
「ぎゃっ」
カイソンが悲鳴を上げ、ウシワカの背中に縋りつく。
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