雨夜の月

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 急にぐらりと眩暈がした。ぐるぐると廻る視界に瞼をきつく閉じて、悠希にしがみつく。抱きしめていた悠希の体から一瞬、強く雨の匂いが香ると、次第にそれは優しく甘い香りに変化していった。  徐々に眩暈が治まってゆっくりと瞼を開けた。開いた瞳に飛び込んできた光景に大きく目を見開いた。  そこは濃紺の天上に無数の星が煌めき、その中心に見たこともない大きな満月が光の輪を幾重にも放って地上を照らしていた。足元に広がるのは何も遮るものの無い遥かに続く草原で、月の光を浴びて白い花がいっぱいに咲き乱れている。さあ、と涼しい風が頬を撫で、今まで見えていた不夜城のようなビルの群れは跡形もなく無くなっていた。  その光景に悠希を抱きしめていた腕を弛めて、辺りを見渡した。初めて目にした風景。いや、近いものがあるとすれば、遠い昔に彼と行った冬の北海道の真っ白な雪原か。  でもここは肌を切られるような寒さはない。頬を掠める風はひたすらに優しく、そして心地好かった。  ぐるりと見渡した視線をまた悠希の顔へと戻した。彼は包み込むような微笑みを湛えたままで自分を見つめている。その頬を恐る恐る指先で触れてみた。柔らかく暖かな感触は、確かに彼が目の前に存在することを示していた。  ――いや、これは現実ではない。  その証拠に明るい月の光がこの身にそそぐのに、相変わらず鼓膜を震わせる雨の音がする。雷鳴と共に鳴り響く音は止むどころか段々と大きくなって、我慢ができなくなってきた。  悠希の唇が小さく開いて何かを紡いでいる。でも、その声を捉えることができない。 「藤岡、おまえの声が聴きたいのに雨の音がうるさくて仕方が無いんだ。それに雷の音も」  ふと、微笑んでいた悠希の表情が微かに曇ったような気がした。彼はしばらく瞳を合わせたあと、すっと右手をあげると遠くを指して、 「……あなたはまだ、あそこにいるんですね……」  彼の白い指が差す方へと顔を向ける。満天の星空と白い花の咲く草原が続く遥か向こうの空が、時折微かに明るく光っていた。  ――あれは……、雷鳴か……。
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