雨夜の月

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 頬を刺す風の冷たさに、ひとつ体を震わせた。耳には先程から降り始めたのか、しとしとと雨の音が絡みつく。  なのに目を開けると、そこには雨雲ひとつない夜空が広がっていた。都会のビル群の窓の光で星は霞んで見えるが、ぽかりと満月が浮かんでいる。  見慣れたビルのエントランスが臨めるガラス張りの入口を、自分は今、少し離れた場所から窺っている。エントランスからは仕事が終わった人々が家路に着くべく次々と透明なドアを開けて出てきた。幾人かの知っている顔が疲れた表情で足早に自分の目の前を通り過ぎていく。  皆、この寒いのにコートも羽織っておらず、中にはスーツの上着を肩にかけている者もいた。彼らが歩く歩道に植えられた街路樹は、街灯に照らされてその赤く染まった葉の色を鮮やかに浮かび上がらせていた。  ――ああ、これは秋の初め頃か。  あの頃は自分の部署に配属されてきた新入社員の若者が気になり始めた時期だった。  藤岡悠希(ふじおかはるき)と緊張した面持ちで自己紹介をした彼は、細身で少し明るめの髪色で、その襟元から覗くうなじも白く頬も柔らかそうだった。どこか少し自信無げな佇まいは優しい雰囲気に包まれて、おっとりとした彼の育ちの良さが感じられた。  あの頃、自分の下には彼を含めて数人の部下がいた。一人の部下を彼の教育担当者につけたが、それでも今までの新人とは違い、なぜか彼の様子が気になった。  初めての社会人生活に戸惑いながらも、彼は前向きに先輩社員の指導を受けていた。時には自分も彼に対して厳しい言葉を言ったと思う。それでも自分の指導する言葉に真剣に向き合い、じっくりとその意味を理解しようとする彼の姿勢に好感を持った。確かに打てば響くように動き回る同期の新入社員もいたが、そんな中でも彼は確実な下地を作ろうと真摯に仕事に取り組んでいることが感じられた。  そんな真面目な彼の姿が気になり、いつの間にか視線はいつも彼を追っていた。そして時折、彼のほうからも自分に向けられる仄かな熱を感じとれるようになっていた。
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