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忘れ去られても仕方がない。酷い言葉で悠希の心を深く傷つけた。悠希は二度と自分の顔など見たくは無かったかもしれない。こうして声をかけられるのでさえ、迷惑どころか嫌悪を持っているかもしれない……。
――どんな罵りの台詞でもいい。何かひとこと、声を聴かせてくれ……。
激しい動悸に堪えられず、もう一度、悠希の名前を呼ぼうとしたときだった。
じっと見上げていた悠希の表情がゆっくりと変化していく。その顔は怒りでも哀しみでもない。ただひたすらに、穏やかで優しい笑顔――。
その悠希の浮かべた表情に、胸がきつく締めつけられる。鼻腔の奥が熱くなって、その熱が目頭へと伝わった。潤んできた視線の先の悠希の頬に、すぅ、と透明な雫が一筋流れていく。
悠希は薄く引き上げていた唇を震わせて、微かにこう言った。
「……昭雄(あきお)さん、逢いたかった……」
悠希はゆっくりと体を傾けて胸の中に額を寄せた。その彼の体をしっかりと抱き止める。廻した両腕には確かに悠希の体が形を成していた。
雨の香りが微かに悠希から立ち上っている。でもそれよりも今はこの暖かな存在を感じていたい。
悠希がそっと自分の背中に両手を這わせた。きゅっと力を入れられると、それに応えるように強く抱きしめ返す。その締めつけが心地良いのか、腕の中の悠希がもう一度、「昭雄さん」と名を呼んでくれた。
「藤岡、すまない。本当に……」
切なさに喉を締めつけられて言葉が続けられない。それでも何度も、すまない、と謝り続けた。
「そんなに謝らないでください」
柔らかな彼の声が優しく耳の奥に滑り込んでくる。ああ、彼のこの声をどんなに恋焦がれたか。
「俺はおまえに酷いことをした。憎まれても恨まれても仕方のないことを……。なのに、こうしてのうのうとおまえに会いにきている」
最期にどうしても、おまえに逢いたかったんだ――。
悠希の髪に頬を押し当てて、震える声で呟いた。すると、悠希はなぜか、ふふっと笑って、
「どうして俺が昭雄さんを憎まないといけないんです? それに最期だなんて、ここには終わりはないんですよ」
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