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第一球 昔の野球と今の野球
(なあ少年よ、野球がしたいぞ!)
時刻は朝9時
自室で宿題をやっていた高校一年生の少年、遥川駆の頭の中にそんな声が響いた。休日でありながら学生服に身を包み、机に向かうというなんとも真面目くさった姿である。
声にならない声の主はそんな少年の横に立っていた。
二十代後半の人の好さそうな垂れ目をした男である。それだけなら、普通にあり得る光景なのだが、驚くことに彼の服装はカーキ色の軍服、頭にはツバを後ろ向きにして被った野球帽という不自然極まりないものだった。
「だから、俺はもう野球辞めたって言ったじゃないですか栄治さん」
遥川は目上に接するような丁寧な口調でそう言った。なにせ自分よりも一回り年上の人間である。
しかし、当の栄治は
(やきゅー、やきゅー、やきゅううううううううううううううう)
と空気を震わせない声で叫びながら、ベッドの上をゴロゴロと転がっている。
「子供か!」
(だいたい遥川、何で野球止めたんや。勿体ないやないか、そんなええカラダして)
「言っとくけど俺、体大きいだけですげー運動音痴ですからね」
「カケル? 誰か来てるの」
その時、部屋のドアを開けて遥川の母親が入ってきた。特別若くて美人というわけではなく、普通にアラフォーのおばちゃんである。
遥川は慌ててこう言った。
「あ、いや、声に出して暗記してたんだよ」
母親は部屋全体を見回す。当然、栄治のいるベッドの方にも視線を向けた。
「そうみたいね。それにしても休日にみんなが遊んでる中、一人で黙々と勉強なんて偉いわね」
まるで栄治が存在していないかのような母親の反応だが、当然のものである。なにせ栄治の姿は遥川にしか見えないのだから。
「まあ、せっかく部活辞めたんだし。それに、俺は人よりやんないと……って、それより早く出て行ってくれよ集中できないだろ」
「はいはい。頑張ってねー」
そう言って、そそくさと引き上げていく母親。
「てか、部屋入る時はノックぐらいしろよ!」
はいはいはーい、という言葉を残して母親は部屋から出て行った。思春期の息子の部屋にノックせずにはいるのは唾棄すべき悪行であるというのに、まるで反省が無い。
「ふう、それにしても」
遥川は改めて栄治の姿を見る。
(ん? なんや駆よ。野球するんか)
視線に気づいたのか、栄治が立ち上がった。
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